斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

         矢口高雄さんを悼む

 

 漫画家の矢口高雄さんが11月20日に亡くなった。81歳。代表作『釣りキチ三平』をはじめ、自然の中に生きる人間の姿を美しいペンタッチで描き続けて、一世を風靡した方だった。

 訃報を知った時、矢口さんのこれも大作『ふるさと』を読み返している最中だったので、なおのことショックが大きい。もう30年近くも前に取材でお目にかかった時の感激を思い出した。

 当時の私は著名な劇画原作者だった故・梶原一騎氏の評伝を書いていた。お二人の作風をご存じの読者には意外かもしれないが、矢口さんは梶原氏の原作による『おとこ道』(1970年、「少年サンデー」連載)で、メジャーデビューを果たしている。ペンネームも梶原氏の勧めに拠っていた。

 『おとこ道』そのものは、成功した作品とは言い難い。表現をめぐる外部とのトラブルもあった。後にそれらを詫びた梶原氏に、矢口さんはこう返したのだという。

 「何をおっしゃるんですか。僕は先生の原作のおかげで、どれだけドラマ作りやセリフの勉強をさせていただいたかわかりませんよ」

 とてもいい話だった。メモを取りながら、なんだか泣けてきてしまった覚えがある。

 他にも興味深いエピソードを、矢口さんにはたくさん聞かせていただいた。紙数がないので詳細は拙著『「あしたのジョー」と梶原一騎の奇跡』(朝日文庫)に譲るしかない。優しくて誠実な矢口さんは、もうこの世の中にはいないのだ。

 雪深い秋田県雄勝郡西成瀬村(現在は横手市)の出身。地元の高校を出て、地元の銀行に就職し、10数年間も勤めたが、少年時代からの夢やみがたく、単身で上京して、努力を積み重ねた末に、大成功を収めたのである。

 だからって、銀行員時代に学んだ実務能力も、一般常識も忘れなかった。素敵な人生を歩まれた矢口さん。ありがとうございました。合掌――。