今月のイチオシ本


ジョナサン・コット「スーザン・ソンタグの『ローリング・ストーン』インタビュー」(木幡和枝訳 河出書房新社2016年)

               

                       岡本 敏則

 


 ―男がひとり死ぬと、われわれは図書館をひとつ失う― キクヨ族(ケニア)の言い伝え

 

 「エッセイスト、小説家、劇作家、政治活動家であったソンタグは1933年ニューヨークに生まれ、2004年に死んだ。思索に明け暮れる生活をし、自ら生きている生について考え続ける。この両方の、つまり考えること、しかも自らの生について考えることが相互補完の関係にあり、生を拡張することをソンタグは教えてくれる」(コット)。

 『ローリング・ストーン』誌は、1967年アメリカで、音楽や政治、大衆文化を扱う隔週発行の雑誌とし発行され現在も続いている。ソンタグへのインタビューはまず1978年6月、彼女のパリ16区のアパートで行われ、2回目は5か月後ニューヨークの自宅で行われた。そこはリバーサイド・ドライブと106丁目の角に、眼下にハドソン川を見下ろすペントハウス(最上階)であった。部屋には8000冊の本が並んであり、それを彼女は「私自身の検索システム」であり、「私の憧れのアーカイブ(資料)」と呼んでいた。そして翌1979年10月、『ローリング・ストーン』誌はインタビューの3分の1を掲載し、35年後の2014年完全版(エール大学出版)が発行された。本書から、私が気に入ったところを(全て気に入っているが)いくつか紹介してみる。

 ◎乳がんを発症して

 —最初に思ったのは、こんな目に遭うとは、自分はいったい何をしたのだろうか。生き方が間違っていたのか、抑圧が強すぎたのか、そうだわ、5年前に大きな悲嘆に襲われて苦しんだ、これはあの重い落ち込みがきたしたことだ、云々。そこで次に私は結核(5歳の時父親が結核で亡くなった)について考え始め、がんになった原因は自分にあると咎を引き受けるのはきっぱりやめることにした。そこで有意義なことは何かと言えば、できるだけ合理的に考えて適切な治療法を探り、同時に、心底から生きたいと欲すること。生きたいという欲求がなければ病気と共犯関係になる、これは疑うべくもない。

 ◎ジェンダーについて

 —父権制的な価値体系というもの、または、それをなんと呼ぼうとかまわないけれど、そのいっさいが間違っているし、抑圧的なものよ。女性は男性より劣る、とね。基本的見方としては、女は子供より上だ、だが男には劣る、としたの。子供の可愛らしさと魅力をもった成人した子供、それが女だ、と。われわれの文化の中では、女性たちは感情の世界に配置されてきたわ。男たちの世界は行動力、執行能力、それに公平性という名の無関心でいる能力の領域だとされてきたので、そのために、女性たちは感情と感受性の溜め池になっている。私が使命感をもってやってきたことのひとつは、思考と感情の区別に反対することだった。心と頭脳、考えることと感じること、空想と良識・・私はこんな分断があると信じていない。思考VS感情、頭脳VS心、男VS女、こういう類型化はすべてロマン主義の価値観に対する防衛策として捏造されたのよ。

 ◎『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー 今年生誕200年) 

 —2年前に『カラマーゾフの兄弟』をまた読んだら、10代で読んだ時と同じか、たぶんそれ以上に興奮したの。そう、あれこそもっともドキドキし、夢中になり、触発され、高揚する作品だわ。今ならわかる、自分はなにゆえに生きなければならないのか、と。『カラマーゾフの兄弟』は何歳で読もうが、かならず何かを与えてくれる書物だわ。

 ◎読書 

 —3歳から読み始めたわ。最初にグッと来たのは『レ・ミゼラブル』。声を出して泣き、めそめそし、悲嘆にくれたわ。読書好きの子供なら家にある本をなんでも読むものよ。13歳の頃は、トーマス・マン(ドイツ 『魔の山』)にジェイムズ・ジョイス(アイルランド 『ユリシーズ』)にジョージ・エリオット(英国 『サイラス・マーナー』)にフランツ・カフカ(チェコ 『変身』)にアンドレ・ジッド(フランス『狭き門』)—ほとんどがヨーロッパの作家たち。アメリカ文学に馴染んだのはずっと後年になってから。お小遣いをためてアダム・スミスの『国富論』まで買っちゃった。

 ◎訳者あとがき 

 ―ソンタグは1933年に生まれてから様々な戦争に影響を受けてきた。第二次世界大戦、東西冷戦、ベトナム戦争・・晩年にはボスニアをめぐる対立に遭遇し、サラエボに滞在し、他界した2004年に至る数年間は2001年のニューヨークにおける世界貿易センター攻撃などの同時多発テロをきっかけに、アメリカの外交政策の歴史的過ちを有力メディアで公然と批判した。愛国心に火をつけられた保守派から「売国奴」と猛攻撃をうけた中での死だった。ソンタグの発言は「文明の対立」と大雑把にことを図式化しようとするメディアや有識者たちには目の上のタンコブのような「要注意」信号の役割を果たした。