暇工作「生涯一課長の一分」


    ある損保会社が提案した「残業と評価」のとんでもルール


 「君は36協定違反の残業をしている。だから人事考課を下げる」

 こう、ある損保関連会社の女性社員がいじめられたという話を本欄で紹介したことがある。残業手当を取得すると、人事評価を下げて賃金テーブルランクを落とし年俸を減らすぞ、という脅しだ。そもそも36協定違反に問われるのは、経営者のはずだが、実はこの言いぐさのなかに、事の本質が見事に表れている。人件費を抑えこむために、被害者に加害責任まで背負わせて自縄自縛にしようという、あまりにも理不尽な手法だ。

そして今度は、その考え方を会社の制度として公式に持ち込もうとした、ある外国保険会社がでた。「月20時間を基準として、残業時間が多い社員に対して、人事評価を下げる」という内容だ。提案された「ルール」は次のようなものだった。

 

①月の残業時間20時間に対して120%以上=評価1。

月の残業時間20時間に対して110~120%=評価2。

月の残業時間20時間に対して90~110%=評価3。

月の残業時間20時間に対して80~90%=評価4。

月の残業時間20時間に対して80%以下=評価5

 

 なんだか、自動車保険の割増料率表みたいにみえる。社員を評価するのに、人の心など入り込む余地など微塵も許さないという冷徹なタリフ。月間24時間残業すれば評価は最低の1になり、16時間以内に収めれば評価は最高の5だという。

 もちろん、職場からは猛反発が起こった。労働組合も繰り返し抗議し撤回を求めた。組合に寄せられた現場の声は…

 「サービス残業や(残業時間の)打刻の意図的な修正をしない限り評価5を取るのは不可能」

 「120%以上といえば月間24時間。まともに勤怠記録をしたら評価1の人が大半を占める」「月間20でサービス残業なしで済ませられる担当者は皆無に近い」

 「そもそも、36協定内でも評価が落ちるというのはおかしい」

 どれも正鵠を射ている。暇は、「これは不法な罰金制度だ」との感想を付加したい。

 そもそも、残業時間と人事評価をリンクさせること自体がアンマッチでありアンフェア―なのだ。働き方改革とか、残業時間短縮の美名のもとに、その方式を人件費圧縮に帰納させる。経営者のお粗末な浅知恵だ。「人件費」とは経営者目線による費目であって、社員にとっては「賃金」だという認識が希薄だからそうなる。賃金は健康で文化的生活という、社員の基本的人権を支えるもの。経営者がみだりに手を下せない質を持っている。社員の生殺与奪の権はすべて手中にありと考えるのは経営者の思い上がりだ。職場の怒りは、そうした根源的なところから湧き上がってきたのではないか。

 交渉が続く中、この制度を推進する人事部にCEOが待ったをかけた。「そんな提案を私は認めていない」と。提案は白紙に戻った。企業ガバナンスの齟齬か、あるいは社内世論を敏感に受け止めたCEOが一人いい子になろうとした結果か。それは、どちらでもいい。この血迷い提案を阻止した原動力は現場の人々の常識のパワーであり、まじめに取り組んだ労働組合の姿勢だと、誰もが知っているのだから。