曽田 英夫 てつどう歴史散歩

 

   第11 回 国鉄の民営化と時刻表の歴史

 

 かつての国鉄が民営化され、今は「ジェイアール」という名称が定着しました。民営化は昭和62年(1987)4月1日であり、早いものでもう34年が経過しています。

 鉄道が走り出してから、その経営主体は変遷をしてきたのですが、具体的には良く分かっていないので、調べてみました。

 明治4年(1871)8月14日に工部省に鉄道寮を設置したことから始まります。明治10年(1877)1月11日工部省鉄道局となり、18年(1885)12月22日に工部省が廃止され、鉄道局は内閣直属となります。

 なお、西南戦争による財源難のため「官設」鉄道の建設は進まず、明治16年(1883)7月28日に日本鉄道が上野~熊谷間で仮営業を開始しました。これが我が国初の私鉄営業となり、以降山陽鉄道、九州鉄道など多くの私鉄会社が出現します。明治20年(1887)5月18日には私鉄鉄道条例を公布しています。

 

 以下、年表風にまとめてみました。

 ・明治23年(1890)9月6日 鉄道局を鉄道庁と改称し、内務大臣所管となります。

 ・明治25年(1892)7月21日 鉄道庁を逓信省所管に改めました。

 ・明治26年(1893)11月10日 鉄道庁を鉄道局に改組しました。

 ・明治30年(1897)8月18日 鉄道作業局を逓信省の外局として新設、官設鉄道の経営に当たり、鉄道局を運輸行政庁としました。この頃、私設鉄道は距離を伸ばし、さらに例えば新橋から神戸は官設鉄道、神戸から下関は山陽鉄道と経営主体が異なると、例えば戦争時の兵の輸送に支障を来すこととなります。現に日露戦争の経験からそれを避けるために、私設鉄道の国有化を図るべく、明治39年(1906)「鉄道国有化法」が公布されました。そして翌40年10月1日までに前記日本鉄道、山陽鉄道、九州鉄道など私設鉄道17社が買収され、「国営化」が計られました。

 ・明治40年(1907)4月1日 鉄道作業局を廃止し、帝国鉄道庁を開設しました。

 ・明治41年(1908)12月5日 帝国鉄道庁を廃止し、鉄道院となりました。

 ・大正9年(1920)5月15日 鉄道院を廃止して、鉄道省としました。

 ・昭和18年(1943)11月1日 運輸鉄道省が設置されました。 

 ・昭和20年(1945)5月18日 運輸省が設置されました。

 ・昭和20年8月15日 第二次大戦は終結し、戦後の時代に入っていきます。

 ・昭和24年6月1日 公共企業体「日本国有鉄道」が発足し、「国鉄」となりました。 

 

 前記のとおり、昭和62年4月1日に民営分割され、旅客運輸はJR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州、貨物運輸はJR貨物が担うこととなりました。分割民営になって会社間の相互乗入れが少なくなったのではないか思われます。例えば、JR東日本とJR東海の境界である熱海駅の下りでは東京発沼津行が9本、伊豆急下田行は特急「サフィール踊り子」「踊り子」定期・不定期合わせて8本、修善寺行特急「踊り子」定期2本、それに特急「サンライズ瀬戸・出雲」1本となっており、それ以外の多数の列車は熱海止まりで、熱海以西へは乗り換えることとなりました。

 

 鉄道の民営化で影響を受けたのは月刊の「時刻表」です。今駅置きの「時刻表」は交通新聞社の『JR時刻表』です。かつてはJTBが『国鉄監修 時刻表』が駅置きされていましたが、民営化と同時に『JR時刻表』に移りました。『国鉄監修 時刻表』は今はJTBパプリッシング発行の『JTB時刻表』となりました。そこで、この機会に月刊「時刻表」の歴史も簡単に振り返りたいと思います。

 月刊時刻表は明治27年(1894)10月5日に庚寅(こういん)新誌社が『汽車汽船旅行案内』を発行したのが最初です。福沢諭吉の勧めで慶応出身の手塚猛晶が当時月二回発行していた総合雑誌『庚寅新誌』を廃刊にして発行を始めました。それは大いに売れたので、その後、明治34年6月公益社が『最新時間表 旅行』のちの『鉄道船舶旅行案内』、それに当時大手出版社であった博文館までも『鉄道汽船旅行案内』を発刊し、その他にも創刊されました。

 前記の3誌をみてもわかるとおり、書名の良く似た各誌は競争となり、かつ時の鉄道院に検閲を申し出たりして取材競争が繰り広げられました。そこで、木下淑夫運輸局長の提案により三社の時刻表担当部門を対等合併し「旅行案内社」を設立することとなりました。大正4年(1914)1月、誌名に公認を付け『公認汽車汽船旅行案内』として創刊されました。

 次の大きな出来事は大正14年(1925)4月、日本旅行文化協会が鉄道省編纂『汽車時間表附汽船自動車発着表』を翻刻し、ジャパン・ツーリスト・ビューローから発売したことです。これが『JTB時刻表』の始まりです。この創刊で『公認汽車汽船旅行案内』の「公認」は外され、その『汽車汽船旅行案内』は昭和19年(1944)3月に廃刊となりました。

 そして、前記のとおり現在に至っています。 

 


(資料1)

『汽車汽船旅行案内』庚寅新誌社 明治27年10月5日発行。手塚猛晶が発刊した我が国最初の月刊時刻表。情報が多く、1日発行の予定が5日になったと手塚本人が記しています。これは昭和56年7月に広島のあき書房が復刻したものです。


(資料1)『公認汽車汽船旅行案内』大正5年12月号。上段に「庚寅新誌社、公益社、博文館三社合同」と書かれ、左下には「鉄道院、朝鮮鉄道局、台湾鉄道局、各鉄道会社、各汽船会社」と書かれています。表紙は三越のデザイナー杉浦非水が描いたものです。3本の松は合併した三社をシンボル的に描いたものとされ、「三本松の時刻表」として知られるようになりました。


(資料3)『汽車時間表 附汽船自動車発着表』大正14年4月号。これが現在『JTB時刻表』の創刊号です。鉄道省運輸局が発行していた『列車時刻表 附汽船自動車発着表』を日本旅行文化協会が翻刻し発売したものです。これは復刻版ですが、使っているうちにボロボロになってしまいました。

 

 


(資料4)『JTB時刻表』平成21年5月号。平成21年(2009)5月号で1000号を迎えました。表紙はデザイナーの水戸岡鋭治氏により、金色をバックに5種類の車両が描かれています。まったくの余談ですが、「グラビア特集/大正-昭和-平成 鉄道史の語り部“時刻表のあゆみ”」は前月の999号に続いて小生が書かせていただきました。 因みに999号の表紙は松本零士氏の「銀河鉄道999」です