守屋真実
もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏
昨年、首相官邸前でまたユニークな人と知り合った。
Kさん。菅政権の日本学術会議6名任命拒否に抗議して、10月26日から12月4日まで官邸前の歩道で座り込みを続けた人だ。
今年の秋は比較的穏やかだったけれど、雨の日も、寒風の吹く日もあった。一時間のスタンディングでも手がかじかんでギターを弾くのが難しい日もあった。そんな中、Kさんはアウトドア用の重装備で夜間もそこで過ごしたのだから、並大抵の意思の強さではない。時々大急ぎで自宅に帰り、入浴して戻ってきたそうだ。私もアウトドア・スポーツは大好きで、ボリヴィア高地で4週間のトレッキングなどしたけれど、東京のど真ん中の路上で寝袋に入って眠りたいとは正直言って思わない。どんな人なのか興味深々、話を聞かせてもらった。
十代の頃には、女性で、LGBTで、沖縄人という三重の差別に悩み、人生に絶望しかけたこともあったという。21歳の時にロンドンに住む同郷の人を頼って渡英し、現地で語学学校に通い、大学入学に必要なAクラスの英語を身に着け、芸術大学に入学してファインアートの勉強をしたそうだ。あっぱれ!
学術会議問題が起きた時、Kさんは人権の侵害と戦争への危機を感じ、沖縄の先祖が味わった塗炭の苦しみを繰り返してはならないという思いから座り込みを始めた。建築の仕事を休んでの行動なので、座り込みを終えた後が大変だと笑いながら言っていた。沖縄が好きで、ウチナンチュという自覚は強くあるという。ヤマトンチュには、美しい海のリゾート地としてだけではなく、つらい悲しい歴史があったことも含めて沖縄を愛してほしいという言葉が印象に残った。
私も27歳で単身ドイツに渡るまで、自分が何をしたいのか、何をするべきなのかわからず悶々としていた。自分らしい生き方をしたいと思いつつ、どうすればよいのか長い間わからずにいた。それで、新聞で「三年間西ドイツ勤務」という三行広告を見て飛びついたのだった。よくも無鉄砲なことをしたものだと今では思うけれど、やって良かったと思っているし、人間は自分が思っている以上のことができるものなのだということを学んだ。
だから、多くの若い人たちに、特に女性たちに、広い世界を経験してほしいと思う。そのためには、平和で人権が守られる社会を作ることが不可欠だ。コロナ対策をおろそかにして、学術会議への介入や敵基地攻撃への軍備増強を図るような政権は、次の選挙で絶対に終わらせなければならない。
Kさんのような強くたくましく、そして優しい女性がたくさん育つような、豊かな土壌を後進に残してあげることは私たちに課せられた義務だ。
社会の調和と安泰に必要な五常の徳は、「仁・義・礼・智・信」だと儒教が教えている。なかでも重要なのが「仁」と「義」である。それは人間が守るべき道徳で、礼儀上なすべき努めのことである。日本人が大切にしている基本的な価値観でもある。
10月10日、公明党は政権を離脱した。
公明党は連立維持の条件として「靖国神社参拝」「裏金問題の解明」「企業献金問題」の対応を連立維持の条件としていたが、これらに対して自民党から明確な回答がなかったからだとしているが、自民党は「一方的に告げられた」と言っている。
私は、公明党が連立の条件を出したとき、その条件に一瞬「今さら?」という気がした。連立を組んで26年、その間、それらは何度も問題になったはずである。それを容認(?)してきたのに、なぜ、今になってそれを頑なに主張するのかと思ったのだ。だが、それは、民意に押されているからだと好意的に解釈していた。
自民党の党大会で、高市早苗が総裁になり、麻生太郎が副総裁になった。常識的に考えると、新総裁はいの一番に連立を組んできた公明党に挨拶に出向き、その上で「今後、どうしましょうか?」と相談するのが筋であろう。
だが、そうではなかった。高市と麻生が最初に会ったのが、国民民主党代表の玉木雄一郎だったのだ。当然、政権協力の話をしたのだろう。
「仁」と「義」に続くのが「礼」である。これも日本人の基本的な価値観で、日本人はこれらに欠ける人間を徹底的に嫌う。
自民党は、支えてくれた公明党に「仁義」も「礼節」も示さなかった。公明党からすればそれは侮蔑されたことであり、屈辱と怒りを感じたはずである。私だって相手がそういう人間なら、さっさと見切りをつけて縁を切るはずだ。
1973(昭和48)年『仁義なき戦い』という映画があった。シリーズで5作創られ、1999(平成11)年「日本映画遺産200」にも選ばれている。
ヤクザを主人公にしているが、ヤクザ映画でも任侠映画でもない。義理と人情、恩義と裏切り、愛と憎悪、怨念と殺戮を描いた群衆活劇で、戦後日本の暗黒社会を描いていた。
石破首相の退陣から総裁選、新総裁誕生と今までの政局をみていると、権力を握るための打算と工作、陰で暗躍する長老たちばかりが目につく。映画は「仁義なき社会は抗争を生む」といっていたが、自民党内部はまるでこの映画のようである。
かつて、自民党と有権者は、政策より義理と人情でつながっているといわれていた。そのころの自民党には、まだ「仁・義・礼」もあったということだろうが、今はカネがすべてのようだ。「五常」の残るは「智(道理をよく知り、知識が豊富)」と「信(情に厚く真実を告げ約束を守る)」だが、自民党はそれさえも失ってはいないか。