松久染緒 随感録


          日航機墜落事件、真相は闇の中か?

              

 1985年(昭和60年)といえば、掛布・岡田・バースの3連続ホームランで阪神タイガースが21年ぶりに優勝した記念の年として記憶される。

 この年はまた8月12日、羽田発大阪行き日本航空123便ボーイング747型ジャンボ機(JA8119)が、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落し、520名もの犠牲者を出した悲劇の年でもある。毎年の慰霊登山も今年はコロナ禍で難しいようだ。すでに事故から今年で35年もたち、日航の社員でも96%は事故後の入社だという。人々の記憶からも消えつつあるのではないか。

 墜落の原因は、政府の航空事故調査委員会の報告書によれば、大阪におけるしりもち事故後、アメリカ・ボーイング社の修理ミスの結果、機体後部の圧力隔壁が破損したため垂直尾翼を損傷し、ダッチロールを余儀なくされて御巣鷹山に激突したとされている。これが公式見解である。

 ところがこの事故(かどうかも疑問として)について、国内線搭乗時代に事故機のクルーと同僚であった元日本航空国際線客室乗務員の青山透子氏が「日航123便墜落 疑惑のはじまり」、「日航123便墜落の新事実」、「日航123便墜落 遺物は真相を語る」、「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」と、長年にわたって、学問的にも十分評価に耐えるほどの詳細・精密な調査分析の結果を著作の形で発表し、その背景と真実の究明を今も継続している。

 これらの本から読み取ることができる事実から、氏は次のような疑問点を指摘している。

 ① 群馬県上野村の村長は、事故現場が御巣鷹の尾根であることを対外的に発表していたにもかかわらず、なぜか公式には墜落現場不明とされ、その間自衛隊と米軍が現場でいち早くなんらかの作業をしていたこと。

 ②現場の遺体は、航空機燃料ではない油によって焼却・炭化されていたこと。

 ③ 4名の生存者はいずれも最後部座席だったが、後部圧力隔壁損傷が事実なら生存はありえないこと。

 ④ 当該JAL機の腹部には赤い物体がついており、自衛隊のファントム戦闘機2機がそのJAL機を追跡していた目撃証言があること。

 ⑤ デジタル飛行データ記録によれば、垂直尾翼の中心に異常外力が発生していること。その垂直尾翼の残骸は、海上自衛隊の護衛艦「まつゆき」が相模湾で回収したが、開示されていないこと。

 ⑥ 事故翌々日の8月14日付レーガン大統領から中曽根首相あて見舞の手紙に「事故」でなく外務省による「事件」との表示があること。

 

 要するに、青山氏の材料をもとにした推理(明確に以下の通り表現してはいないが)では、JAL機は、相模湾上空で自衛隊によるミサイルの攻撃(民間機を標的とする攻撃訓練は過去にもあったという)を受けて垂直尾翼を損傷して操縦不能となり、御巣鷹の尾根に激突・大破した。事態に慌てた自衛隊は直ちにファントム2機でJAL機を追跡しつつ、自衛隊及び連絡を受けた(おそらく同時訓練中の)米軍は墜落場所を直ちに特定し、ミサイルによる撃墜の証拠を隠滅するため必要な作業をおこない引き揚げた後、地元の消防団、警察および後から来た自衛隊が救助作業に当たったということではないか。

 もしそうであればこれは大変な事態、国家による犯罪である。だから政府、自衛隊、米軍一体で隠ぺい工作、つじつま合わせを行ったのだ。犠牲者及びその家族にとっては到底許されるものではない。しかし、何分35年前の話であるうえに、安保条約のもと米軍と一体化する自衛隊、集団的自衛権への拡張、敵基地攻撃能力の確保などを狙う安倍政権の下では、事実関係の再検証すら考えられない状況だろう。とはいえ青山氏の提起する課題には極めて重いものがある。真相が明らかになる日が来るのだろうか。