雨宮処凛の「世直し随想」

             ある医療裁判


 ずっと開始を待っていた裁判が始まった。

 それは、「公立福生病院透析中止事件」の裁判。2018年8月、44歳の女性が命を落とした事件だ。女性は腎臓病で5年ほど前から人工透析をしていた。透析に血管の分路(シャント)が詰まったため、同病院を受診。そこで医師から「透析をやめる選択肢もある」と告げられる。が、やめれば2、3週間の命。女性は透析をやめたものの、苦しくなって入院。「こんなに苦しいなら透析したほうがいい。(透析中止を)撤回する」と意思表示したが、担当医はこれに応ぜず、女性は死亡した。

 これに対して遺族が「なぜ再開してくれなかったのか」と提訴したのがこの裁判だ。

 「妻が息苦しさから公立福生病院に入院したとき、私は亡くなるとは思いませんでした。入院すれば助けてくれると思っていました。(中略)本人が苦しんでいるのに治療する気配もなかったのは何故か。見殺しにされたのではないか。それを知りたいと思い裁判を起こすことを決心しました」

 これは女性の夫の言葉である。この病院では透析中止で4人、最初から透析を非導入の患者約20人が死亡していたことが、東京都の立ち入り調査で明らかになっている。

 近年、少子高齢化による財政難や医療費削減などの観点から「命の選別」に拍車がかかっている気がする。コロナ禍はそれをいっそう推し進めるだろう。

 だからこそ、それに歯止めをかけるべく声をあげたい。裁判の行方を見守ってほしい。