大杉良夫「自動車保険事件簿」

              蒲団の中の女


 被害者は35歳で独身の男性。定職はナシ。

 赤信号の横断歩道を酔っぱらった千鳥足で横切ろうとして加害乗用車に接触して負傷した事案である。

 示談交渉のため被害者宅を訪れた。午後一時という約束どおりの時間を守って6畳一間のアパートのドアをノックする。「誰よ?」と中から物憂い返事。女性のようだ。「保険会社ですが」と告げると、中で身づくろいの気配がして、やっとドアが開き、迎え入れてくれたのは被害者の男性。どうやら昼間から一杯やっている様子でアルコールの匂いふんぷん。女性の方はいまだ布団の中でこちらに背を向けて寝そべったまま。真っ赤な髪の色がやけにけばけばしい。

 「なんだかヤバい!出直そうか」と内心たじろいだが、処理案件が滞っている現状を考えると、早く片付けてしまいたい一心で単刀直入に具体的に提示額を示した。

 赤信号の横断だから「過失相殺」を免れないと説明したところ、案の定、相手は逆上。とても冷静に話し合える雰囲気ではない。「ともかく、この提示額でご検討ください。OKならハンコを押していただいてお届け下さい」と示談案を置いて帰ることにした。一方的だが、この場合、こうでもしなければ話が進まないと思ったからだ。

 帰ろうとする私の背中に、ふとんの中の女性から声が浴びせられた。

 「保険屋さん!あんた、過失過失と言うけどさ、勝手に私たちの私生活に踏み込んだ、あんたの過失はどうなのよ」

 ん!勝手に?時間は守って来たじゃないですか…なんですか、あんたらこそ真昼間から…と私は内心で悪態をつきながらも、「過失」という保険会社の用語を逆手にとっての(的外れではあるが)反撃に一矢報われた感を持って、今度こそ本当にたじろいでしまった。そこには保険会社の押し付けがましい態度、上から目線への批判がたっぷり込められていたからだ。