斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

       「命の選別」など思い上がりだ

 「どこまで高齢者を長生きさせるのか真剣に考える必要がある」「命、選別しないとダメだと思う。その選択が政治だ」

 次期国政選挙にれいわ新選組から出馬予定だった大西恒樹氏(56)がそう発言し、7月16日付で除籍された。立党の精神に反したためである。

 発言は少子高齢化やコロナ禍における政治を論じる中で飛び出した。大西氏は除籍後に記者会見し、「優生思想ではない」「障害や難病を抱えた方たちに対しては言っていない」「本質的にお金ではなく、動かせる人の時間と労力という『実体リソース』の有限性の問題だ」「(コロナ対策は)若い世代へのしわ寄せが大きい。高齢者以外は通常の生活様式に戻す案はどうか」などと弁明を重ねたが、事の本質をずらした言い訳にしか聞こえなかった。

 政治が人間の命を選別できるなどという思い上がりが、いかに陰惨な歴史をたどってきたかを理解しているとは思えない。安易な社会保障削減論に同調するとは、現代貨幣理論(MMT)の推進論者としての彼は、膨らませた財政で、何をどうしたかったのだろう。

 大西氏には『私が総理大臣ならこうする』(白順社、2018年)という著書がある。外資系金融のトレーダーなどを経ながら、新自由主義バンザイの政商ならぬリベラル政治家として世界を変革せんとの意気や壮、ではあったのかもしれないが…。若者の支持を集めたい計算が彼に働いていたのだとしたら、そう思わせてしまった社会の側の闇も底知れず恐ろしい。

 大西氏の除籍後、筋委縮性側索硬化症(ALS)の女性患者を金銭と引き換えに殺害した容疑で、2人の医師が京都府警に逮捕された。自民党とマスメディアはこの機に、尊厳死法制定に向けた議論の再開を促す世論作りに躍起だ。人間が踏み込んではならない領域では、「議論」もされるべきではないはずである。