雨宮処凛の「世直し随想」

            若者と権力者マインド


 今年3月、ある男に死刑判決が下された。

 2016年、相模原市の障害者施設で19人を殺害した元施設職員の植松聖。1月に始まった裁判員裁判はわずか16回の公判で終結し、3月31日、死刑が確定した。

 この裁判を、私は8回、傍聴した。衆院議長に宛てた手紙で自分は障害者470人を殺せるとうそぶいた男は逮捕後、獄中でしきりにこの国の財政難を憂い、誰でも生かしておくような余裕はないと、事件を正当化し続けた。総理大臣でも財務省の人間でもないのに「日本の財政」を憂える彼の姿は異様だったが、既視感も抱いた。なぜなら、いつからかこの国の若者の間には、「経営者マインド」「権力者マインド」がまん延しているからである。

 例えば「時給を1500円にしろ」というデモを目にした若者が「企業がつぶれる」「バイトがそれだけの働きをするのか」と口にする。自らも時給1000円程度で働いているのに、である。背景には、「ずっと労働者でいるのではなくいつか経営者側になれ」と言われ続けてきたことがあるのだろう。よって彼らは働く先でつらいことがあっても、低賃金で働く今の姿は仮の姿なのだからと、「労働運動」などはしない。そして、労働者目線ではなく、常に国や企業のトップの目線で物事を語る。

 植松死刑囚は1990年生まれ。法廷の彼からも、そんなマインドがびしびしと伝わってきた。

 

 傍聴記録をまとめた「相模原事件・裁判傍聴記 『役に立ちたい』と『障害者ヘイト』のあいだ」(太田出版)を7月に出版した。ぜひ、読んでほしい