天野ともよ「潮風短信」

              おためしに死んでみる


  先月、友人が開催している「おためしに死んでみるワークショップ」というものにZOOMで参加した。日頃「死」はいつか来るけど、どこか遠くのもので大っぴらに話すのはタブーのもの・・・といったイメージを持っていた。ワークショップではお互いの両親、友人、知人の死に関する体験をシェアしたり、これは大事だと思っているモノや人、事柄を小さな紙に20個書き出し、自分が病気になって死んでいくという設定のナレーションに従って、書き出した紙を何個かずつクシャっと丸めて捨てていく。これは手放せないだろうな、と思っていた事柄をあっけなく捨て、思いがけないものが最後に残ったりして、軽く驚く。

 私はとにかく痛いのはいやだなーと思った。彼女と話しながら死に向かう過程で今どのあたりにいてできる選択は何か信頼できる医師がいて寄り添ってもらいたい、無駄な延命は不要、独りで死ぬのはちょっとこわいから誰か付き添ってくれる人がいたほうがいいかな等、具体的に意識に上げることによって、自分の死に向かう姿勢が形になってくるのを感じた。たまたま今回は友人と私だけの参加だったので深く話せたのも良かったし、新型コロナで生と死が今までよりも近く感じられる今、いろいろ考えることができて良かったな。熱心に生きて死にたいと思った。

 

 さて、話題変わって、日曜日の夜は何となくユウウツなのだが、「ざんねんないきもの事典」というちょっと笑えるこの番組が好きでよく観ている。元々は児童書なのだが5分くらいのアニメにしたものだ。いろんな生き物のその生物だけに備わった性質だったり、からだの構造のことがテーマである。例えばメガネザルはあまりにも目玉が大きすぎて頭蓋骨との隙間がほとんどないため、眼球を動かすことができない。そのかわり首ごと180度後ろに回して、ほぼ真後ろまで見渡すことができるとか、なるほど、よくできているんだなーと感心する。

 さてさて、職場にもざんねんないきものがいるんじゃないかな??