保険募集・イマムカシ(その8)

                    鈴木 健


               ドアノック         


 飛び込み営業(火災保険)は、今風には「ドアノック」というらしい。一日100枚の名刺を配ることを日課にしていた人がいる。昼間蒔いて夕方訪問する。当時、東京の下町には木造平屋建ての住宅がたくさんあった。夜訪問しても不審がられることはなかった。表札の新しい家を狙って訪問すると、ほとんど成約できた。

 こうした飛び込み営業で、福田元総理、作家の松本清張さんなどの契約をもらった仲間もいる。

 

 当時は契約者との距離が近かった。面白い話もいろいろ聞かせてもらう機会が多かった。不動産を多く所有し財を成した女性契約者からは、戦後の焼け野原で未経験の屋台の一杯飲み屋を始めた話を聞いた。アルコールのことに無知だった彼女は寒い冬には熱いビールがいいだろうと、ビールを熱燗にして提供したという。ところがそれがはまって大評判。飲み屋は繁盛したそうだ。しかし、ビールの熱燗?どんな味がするのだろうか。

 築地や神楽坂の置屋の火災保険もあった。真夏の昼間訪問すると、女主人がビールを飲んでいる。どうぞ一杯、と勧められる。下戸の私だが断わるわけにいかない。東踊りや花柳界のことなどを聞きながら、無理して飲むことも覚えた。

 有名なナイトクラブの女性経営者宅を訪問した時、手土産に本郷・藤村の羊羹を持参した。ちょうど、銀行の若い行員が来ていた。女性経営者は、その銀行員に向かって「手土産にはこういった気を使ったものを用意するのよ」と教えている。褒められてちょっといい気分だったが、こうした多くの苦労人の契約者とのお付き合いで、自分を磨いてきたのだと、あらためて思ったものだ。