2014年8月6日のこと


守屋真実

もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 


 また8月がやって来る。被爆二世である私にとって、8月6日はやはり特別な重みのある日だ。ことに2014年の8月6日は忘れられない日となった。この日の平和記念式典で何があったか、憶えている人がいるだろうか。

 この日は私の父の名前が原爆死没者名簿に記載され、原爆死没者追悼平和祈念館に納められる日だったので、是非とも式典に参加したいという母を伴って広島を訪れた。8月6日の広島というと、快晴でべた凪で猛烈に暑いという印象しか持っていなかったのだが、思いがけなく雨になった。異例の肌寒さと湿った空気の中、天幕の下の遺族席に座って来賓の追悼の辞を聞いていた。その中には安倍晋三もいて、心にもないもっともらしいことを言う。心の中では「この大嘘つき!」と思いながらも、式典なので黙っていた。

 午後には雨も上がり、父が被爆した鶴見橋付近から比治山へ散策した。山から見下ろす広島市内が、川を除いて昔の面影は全くない大都市になっているのを見て、喜ばしくもあり、空々しくもある気がした。私が子供だった頃の広島には、まだ原爆スラムと呼ばれたバラック街があったし、ケロイドで引きつった顔や手足でリヤカーを引き、魚や貝の行商をする人達もいた。近所には朝鮮半島出身の人が住んでおり、家の土間に大きな豚を飼っていたのを思い出したりした。

 翌朝の新聞を見て、怒り心頭に達した。前日の安倍晋三の追悼文は、出だしの天候の部分が変わっていただけで、2013年のものと同じだったのだ。国策で遂行した戦争で、原爆というこの世で最も悲惨な体験をした人々の死を悼むのに、こんな手抜きが許されていいはずがない。病気や差別、あるいは貧困と闘いながら懸命に生きた被爆者を、亡くなってからまで愚弄するのか。毎週のように不正や人権無視が報道されて、一か月前に何があったかさえ覚えているのが難しいほどだが、私はこの日の憤りだけは絶対に忘れない。決して許さない。

 

 今回のコロナ禍でも、オリンピック開催に固執して初期対応が遅れたことが感染を拡大した。この国の歴史を振り返ると、常に国策が国民の生命よりも優先されてきたのは明らかだ。生命をないがしろにされるということは、人間の尊厳も軽視されるということだ。それなのに、「アベ政権のコロナ対策を評価するか」という世論調査で、5月には「評価しない」が多数派だったのが、10万円の特別給付や持続化給付金が支給され始めた7月初頭には、逆転して「評価する」が増えた。10万円は私にとっても小さい金額ではないけれど、黒川元検事長は5900万円もの退職金をもらい、逮捕された河井夫妻は一人320万円のボーナスを支給されているではないか。電通やパソナが中抜きする額や、不要な核燃サイクルや辺野古新基地、米国製兵器に支払われる額に比べればはした金ではないか。お金さえもらえれば、こんなに簡単に評価を変えられるのか。この国の人間はこんなにも安いのか。人間としての誇りは無いのか。

 

 コロナ禍は終息どころか拡大の様相を見せているけれど、感染防止に留意しながら、抗議行動はやめない。アベ政権を倒す闘いは金銭の問題でなく、踏みにじられた尊厳を取り戻す闘いだ。誇りを持つ人間なら、やめられるわけがない。