二藤新一郎「損害調査秘話」②

             疑惑隠蔽の事情


 乗用車に友人二人を乗せて運転していたのは大学生だった。ゴルフコンペの帰途の事故である。夜間だったが、見通しのいい国道線である。この車は追い越し車線からセンターラインを越えて反対車線に飛び出し、対向車2台に衝突した。助手席に搭乗していた女子学生は死亡、後部座席の男子学生は車外に放り出されて重傷、運転していた学生も胸部打撲、心臓破裂という悲惨な大事故となった。対向車のうち1台の運転手も顔面骨折の重傷である。 反対車線に飛び出すなどという事故だから、はっきりした原因があったはずである。

 ところが因果関係の特定ができない。運転手は事故の瞬間について「まったく記憶がない」の一点張り。後部座席の男子学生も「眠っていたのでまったくわからない」。対向車の運転手も「急に眼の前に飛び出されたので…」というだけだ。 そこで、事故当日の彼らの行動を調査した。打ち上げにゴルフ場の近くのレストランで食事をしている。「そこでビールくらいは飲んだのではないか?」。ビールの飲酒量ならレストランを調査すればわかるかもしれない。だが、警察権力による凶悪犯罪調査ならともかく、保険会社の調査マンに対して、そこまで協力してくれるかどうか。仮に伝票で彼らが飲酒したビールの総量は判明しても、そのうちどのくらいを運転手が飲んだかまでは、本人たちが証言しない限り特定は難しいだろう。ただ、対向車の運転手は事故直後、路上で大学生たちに人工呼吸を施していて、「運転手の方は酒臭かった」という言葉を残してはいる。また、裁判記録を取り寄せてみると、血中からアルコールが検出されているが、採決時の濃度は微量だという。

 

 というわけで、酒気帯び運転の疑念は多分にあるものの、断定するには客観的な証拠に乏しい。やはり生き残った二人の当事者たちの明確な証言がないことが壁である。 同乗者は単に友人である運転手をかばう気持ちだけだったのか。それとも、自身の「飲酒黙認罪」を隠蔽するためだったのか。そして、その「罪」は同乗者の保険金算定上は「過失」として相殺されることを知っていて(あるいは周囲から入れ知恵されて)そうしたのか。

 調査マンは疑い深い人種である。ときどき、「なにも、そこまで追求しなくても」と自分自身を諫めることもある。調査マンは常に、社会的正義、業務遂行ルール、被害者救済などの狭間で悩んでいるのである。