二藤新一郎「損害調査秘話」①

          保険金目当ての自殺事故?を暴く後ろめたさ


 外出自粛要請が出る以前のことである。関東地方の山間部を車で走行していて、あるダム湖に差しかかった。そこが10年ほど前に私が担当した自動車事故の現場であることを思い出した。

 

 契約者の車両がそのダム湖の水底で発見され、運転席にはシートベルトをしたままの契約者の遺体があった。ダム湖に沿って走る道路には現場と対応する場所のガードレールが途切れている箇所がある。そこにタイヤのスリップ跡があった。保険金を計算してみると総額約3千万円ほどであった。

 

 ところが、簡単に見えた事故態様が次第に一筋縄ではいかないことが判明してくる。まず、タイヤのスリップ跡とみられていた痕跡は、警察の見たてによると

「急発進跡ではないか」(つまり、飛び込み跡)というのである。

 それが発端となって、調査を進めると次々に疑惑が膨らんでくる。本人は零細企業勤務で月収20万足らず。40代の独身だが離婚歴がある。なのに、なぜか妻と一緒に暮らしているらしい。同居の母親もいる。サラ金にもかなりの借金がある。なのに、なぜか高額の生命保険に加入している。つまり、「保険金目当ての自殺ではないか。離婚もサラ金返済対策の名目上のものではないか」という疑惑が膨らんでくるのである。

 

 加えて決定的とも思える事実が追加された。それは、もともと車の名義は同居の母親だったのに、事故の直前に本人への名義変更が行われていたことだ。なぜ、それが疑惑を増幅させたかといえば、本来、車の名義は保険金の支払いにはまったく関係ないのだが、それほど保険理論に詳しくない人にとっては、「車の名義人と運転手が異なっていたら保険金が支払われないのではないか」という心配を持つだろうという推論である。だから…この事故は計画的である、と。

 

 損害調査マンは疑い深い探偵である。業務に忠実な私としては、上司に「保険金支払いは拒否すべき」と進言すべきであり、また、実際そのようにしたのだが…その反面、死を賭した当事者の心情や、貧困の実態を思うとき「そこまで暴かなくてもいいではないか」という葛藤が生じていたのも事実である。

 だから、上司が「でも、裁判まで勝てるかどうかわからないしな…」とつぶやいたので、なぜかホッとした気分になった。