暇工作「課長の一分」

              顧客への「還元」


 いま、ファミレスでの注文は「タブレット方式」(写真)になっている。カラオケ店と同様、お客が自分でタブレットを操り、画像から飲食物を選んで送信する。それを受信した調理場から料理が運ばれてくる仕組みだ。若い人には何でもないことであっても、年配層は戸惑うというより、味気なさの方が先立つ。
 

 別に、ウエートレスに注文を告げて客席でふんぞり返っていたいと思っているわけではない。しかし、人はみな、どこでも、人と人のちょっとしたふれあいのなかに、くつろぎ感とか癒され感を見出したいものなのだ。言葉も交わさず、タブレットで注文し、黙々と食事をし代金を支払って帰る。コミュニケーションを拒絶された空間には、ただ空しさだけが彷徨う。
 ま、計算の対象になりにくい空虚さ、味気なさはさて置き、リアルな損得勘定で考えよう。納得できないのは、注文方式がお客負担になったからといって、ファミレスの商品の値段が安くなったわけではないことだ。同じ値段で、人件費の一部をお客が肩代わりしているという明白な負担感はオーバーに言えば屈辱的でさえある。
 外食産業だけではない。損保だって、本来会社がやっていた業務を、次第に代理店や契約者に移してきた。庶民は大企業によって、骨の髄までしゃぶりつくされつつあるのが現代の素顔だ。
 

 …と怒っていたら、通販損保社の自動車保険に加入しているA君から反論があった。
 「この外国保険会社では、ネット申し込みした契約者には12,000円も安くしてくれますよ」
 たしかに、そのシンプルさはわかりやすい。次年度の継続契約手続きからはそのネット割も少なくなるので、「見せかけ感」は拭えないが、それでも、顧客に労をいとわせるかわりに、保険料からその対価(らしきもの)を差し引いて還元する、決してやらずぶったくりではないよ、という姿勢は仄見える。
 外国損保を手放しで礼賛するつもりはない。代理店の存在や、契約者に対するそのサービスの貴重な価値は、依然として損保のオーソドックスな財産だと思う。しかし、そのこととは別に、日本の損保産業に求められていることは、契約者や代理店を心底からリスペクトし、共存共栄の精神を具体的な行動で示すことであるはずなのに、その哲学が一向に伝わってこないことが残念なのだ。