損保経営者は薦めそうもない本


 アルベ―ル・カミュ『ペスト』 新潮社文庫

 

       

                岡本 敏則

 


 この間『ペスト』(1947年)はフランスでベストセラ―に、新潮社は15万冊増刷したそうだ。作者はフランス人のアルベ―ル・カミュ(1913~1960)。仏領アルジェリアの地中海岸に近いモンドヴィに生まれた。代表作は『異邦人』(1942)、『反抗的人間』(1951年)をめぐってはサルトルとの論争も有名だ。1957年ノーベル文学賞を受賞している。

 『ペスト』の舞台はアルジェリア。地中海に面した港町オラン市。対岸はイベリア半島だ。「ペスト」は鼠の蚤が媒介し伝染する。潜伏期間は7日間で皮下出血し皮膚が紫黒色になるので「黒死病」とも言われ恐れられた。歴史的には30回以上パンデミックになり、延べ1億人以上が死亡した。致死率は高く、抗菌薬ができるまでは60~90%に達したと記録されている。

 

 物語の主人公は医師ベルナ―ル・リウ―。主な登場人物は、たまたまこの町に来ていた新聞記者のレイモン・ランベ―ル。旅行者でリウ―の親友となるジャン・タル―。判事のオトン。市の非正規職員ジェセフ・グラン。194×年アルジェリアのオラン市は人口20万人、市内にはカスバ、モスク、貧民街があった。

 「4月16日の朝、医師ベルナ―ル・リウ―は、診察室から出かけようとして、階段口のまんなかで一匹の死んだ鼠につまずいた」。それが始まりだった。翌日から100匹、500匹、1000匹と屍骸が見つかり焼却処分にされていった。そして得体のしれない「熱病」患者が出始め死者も増えて行った。市の対策会議も開かれるが、その「正体」について「わからない」の連発。「ペスト」とうすうす感じてはいるが認めたくないのだ。ある日の会議で某医師が「ペスト!」と発言。市は市門口を閉鎖し、鉄道の発着も止め外部と遮断した。「ロックダウン」だ。郵便も禁止され外部との連絡は電信のみとなる。リウ―は主治医として自分の患者も診、そしてペスト患者の治療にあたる。リウ―はランベ―ルの質問に答えて言う。「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さという事です。僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています」。

 こういう時だからこそか、人は「自分のこと」を語りがたる。聞き役はリウ―だ。グランは妻ジャ―ヌが男と駆け落ちしたことを。タル―は自分の生い立ちを語る。「父親は判事で、ある日父の裁判を傍聴した。父は神のように被告に死刑の判決を下した。朝早く出かけるのは死刑の執行を見届けるため。そして何事もなかったように帰ってくる」。衝撃を受けたタル―は家を出て以後放浪の旅を続ける。医師としてリウ―は多くの死に立ち会う。オトン判事の小さな男の子の死、親友タル―の死も。タル―は瀕死の床でもリウ―と目が合うとかすかにほほ笑んだ。街の様子といえば食料品店には行列が並び、感染を予防するとしてハッカのドロップが姿を消し、マスクについてルウ―は「これを被っていると向こうが安心するのだ」とランベールの疑問に答えた。

 「不要不急の外出自粛要請」は出されていないので夜になるとカフェや映画館は満員になった。また「保健隊」というボランティアが結成され、医療団を助けた。脱出を何度も試みたランベール、タル―も加わった。

 10カ月が過ぎ2月になるとさすがに猖獗を極めたペストも下火になり、市は終結宣言を出した。市門口は開かれ、鉄道も満載の客を乗せ到着し、生き残った市民と抱き合い、ランベ―ルも恋人と、喜びを分かち合う。しかしリウ―は違う。

 

 「この喜悦が常に脅かされていることを。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物の中に読まれうることを知っていたからである。ペスト菌は決して消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古の中に、辛抱強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼び覚まし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうことを」。