多様性、保障されているか?
労働組合を作る。労働組合に加入する。いずれも憲法に保障された人権だ。もちろん「加入しない」自由や「脱退する」自由も同様だ。
しかし、現実には、いずれの権利(自由)も、行使にはそれなりの困難が伴う。たたかい抜きには実現できない権利なのだ。
損害調査部門で働くTさんが、多数派労組を脱退し個人加盟労組・全労連損保関連支部に加入した際も、すんなりとことが運んだわけではなかった。Tさんは、なにも個人加盟労組を信奉していたわけではなく、
「多数派労組は何もしてくれない。支払う組合費がもったいない」
これがTさんの動機であり、本音だった。
ところが多数派労組に「脱退する」と申し入れたところ、
「ユニオンショップ条項を盾に解雇する場合もある」
と脅された。
むろん、それはフェイクだが、Tさんは
「なら、別の組合に加入すればいいんでしょ」
と切り返し、無所属ではなく、個人加盟労組所属を選択したというわけだ。職場に複数労組が存在する場合、ユニオンショップ条項は意味をなさない。他労組の団結権を脅かす違法なものだからだ。それを知りつつ固執している労使は悪質だ。
ところが、それでも、どちらにも加入しない無所属を貫く社員もいる。いわゆる「無所属派」である。
「十分、会社に縛られている。この上、組合にまで縛られちゃたまらん」
無所属派は本音を、こうつぶやく。
Tさんのように、少数派であっても別労組に加入してしまえば、多数派からの深追いはとりあえず止まる。しかし無所属派には、常に多数派労組からの執拗な勧誘が続くことを覚悟しなければならない。
Tさんの組合移動の決断と勇気。無所属を貫く勇気。路線に違いはあっても、自己決定権を貫徹するという点で、いずれも貴い精神だ。
こうした人々の存在が完全に保障されてこそ、個を認めない時代風潮、異端を許さない職場、組織が個人に優先する危険な現代に待ったをかける「多様性」社会(職場)への道が開ける。
会社や多数派労組も「多様性」をスローガンに掲げたことがある。一瞬、立派だなと思ったが、よくよく見ると、その多様性とは、いわゆる多様な働き方で生産性を高める「ダイバーシティ」のことであった。
似て非なるものとはこういうものを指すのだろう。