斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

       年が明けてもリセットしない

 新年あけましておめでとうございます。よいお正月をお過ごしになれましたか。久しぶりの故郷は、ご実家はいかがでしたでしょう。今年はどんな年にしたいですか?
 ――と、私は読者の皆さんに心から話しかけたい。お約束の挨拶だから、ばかりではないつもりだ。正月すなわち一斉に人生をリセットする3日間だという、いかにも日本の季節感を、私はすっかり身に着けてしまっている。
 大晦日には年越しそばを食べた。会った人とは「よいお年を!」と言って別れた。
 で、年賀状がたくさん来ると嬉しい。正月飾り。おせち料理。お屠蘇。一緒に凧を上げたり、お年玉をあげたりできる孫が早く欲しいなあ…。
 悪いことじゃない、はずだ。日々の暮らしは辛い。だから年に1回、嫌なことは忘れて前を向く。でなかったら人間、やってられないよ、とも思う。
 正月行事の多くは封建時代に始まった。庶民の知恵に溢れているのはそのためか。そう言えば私の母は事あるたびに、「上を見ればきりがない。下を見てもきりがない。毎日笑って、達者で暮らせ」と諭してくれたっけ。だけど――。
 民主主義の時代だ。それだけではいけない。私たちは正月を挟むといつも、忘れてはならないことまで忘れてしまう。いちいち具体例は挙げないが、何もなかったことにしてしまってきてはいないか。
 年末には自衛隊の中東への派遣が閣議決定された。政府は法的根拠を見いだせない「有志連合」への参加こそ見送ったが、国会の承認が必要ないとされる「調査・研究」名目で、1月中にアフリカ東部ソマリア沖の海賊対処に当たっている航空機部隊約60人を投入し、2月には要員200人を擁する護衛艦をオマーン湾に送る計画という。
 安倍政権の悲願である米国の戦争への参戦の契機にされる可能性なしとしない。正月はもう終わった。暗い歴史を噛みしめながら、抗(あらが)おう。