100万人が歌いながら行進する日


守屋真実

もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 


 昨年の暮れは、近所の商店街のイルミネーションが少なかった。毎年クリスマスには、けばけばしいほどの装飾をするマンションでも何も飾っていなかった。私は商業主義のキッチュなクリスマスが嫌いだから、過剰な装飾はない方が好きだが、それでも景気が悪そうな印象は否めなかった。
 年が明けて、働いている放課後等デイサービスの子供たちと近所を散歩しながら気づいたのは、門松を立てている家が少ないこと。同僚たちも同意見だった。「やっぱり消費税が上がって、みんな苦しいんだよね」、「実質賃金は下がってるもんね」、「その税金で花見してる人がいるから」などと公園のベンチに座って話した。やはり、みんな心の奥では不満や怒りを持っているのだ。
 「だから増税前に集会やデモに行って反対すればよかったじゃない。」と言ったら、「そんなのあったの」と言う。あ、失敗した!と思った。私たちの仕事は、平日19時までだし、土曜日も18時まで勤務だから、休みの日以外は活動に参加することが難しい。私は大きな集会がある日は休みを取ってしまうけれど、非正規雇用の身では、その分収入が減ってしまう。だから同僚を誘わなかったのだが、デモがあることだけでも話すべきだった。小さなうっかりが、情報の広がりを妨げてしまう。うるさがられても、変人扱いされても、情報を伝えることが種をまく作業なのだ。怠ってはならない。
 

 今年の流行だとか、新しいグルメの店をネットで探すことはたやすくできる人たちが、デモや集会や署名活動の情報を集めることは全くと言っていいほど知らない。そもそも、政治的な示威行動をするという発想がないのだろう。民主主義とは一人一人が声を上げることだと、親や学校の先生から教わった人がどれだけいるだろう。香港の闘いやグレタ・トゥンベリさんの活動などは、テレビでも、ネットの無料配信ニュースでも取り上げられたけれど、彼らにとっては、イラクの空爆やオーストラリアの山火事と同じく、遠い世界のことなのかもしれない。社会は、人が能動的に関わって、初めて現実となるものだ。
 それでも、若い世代にも怒りが溜まっている。モリ・カケ疑惑に始まり、関電、「桜を見る会」、IRと政権の腐敗ぶりがあからさまになった今こそ、流れを変えるチャンスだ。
 

 関電疑惑の時に、徹底追及の署名を30代の同僚に頼んだら、快く応じてくれたので、「ネット署名もできるから奥さんにもお願いして」と言ってみた。彼は、「へー、そんなのがあるんだ」と驚き、スマホで署名用紙に書かれたアドレスを写していたから、ついでにchange.orgというネット署名のサイトがあることを教えた。以来、時々は見ているらしい。仕事と子育てで時間の少ない世代にも関与できる方法があることを示唆できたと思う。若い世代は、新しいメディアを駆使して、私たちとは違うやり方で、私たちが思う以上にアクティヴになれる。アナログ人間の古いやり方を教えようとするより、興味を喚起し、行動につながるヒントを与えれば、あとは彼らの方法でやってくれるだろう。私たちが若者に教えなければならないのは、人間には幸福を追求する権利があるということだ。
 社会的な活動をするのは、正義感や使命感と同時に、社会は変えられるというオプティミズムがあるからなのだ。未来に希望のない人生なんて、こんな悲しいことはない。
 韓国や香港のように、日本でも百万人が歌いながら行進する日がいつか来ることを、私は信じる。