暇工作「課長の一分」

            いま、言葉、通じているか?


 「…それでも経営者側は、質問に対してはなるべく筋道立てて回答しようとはしてくれる。根底に『信頼感』を持ってぶっつかり合える点で、国会中継などよりマシな気はする」
 これは慶應義塾の労働組合委員長・粂川 麻里生さんが、東京新聞に寄稿した「団交を終えて」という一文である。


 木で鼻をくくったような、共感意識などくそくらえ、といった弁護士相手に団交を繰り返している身としては、こんな「フツーの」労使関係が新鮮に映る。会社側は団交に出席しても第三者みたいな顔付きで、決してやり取りの主役を占めようとはしない。不当解雇されたKさんや、かつて大量リストラで多くの社員が解雇されたときのアクサ損保しかり。Sさんが闘っていたあいおい損保の代理店しかり。いま労使交渉の現場にあるのは、ただ「敵か味方か」という単純極まりない二分法と、君たちとは住む世界が違うんだよ、とでもいった、決して交わらないパラレルな感覚だけである。


 損保にはかつて(いや、いまでも)団交方式以外にも、経営協議会(経協)というシステムがあった。それが部・支店単位の実質的「団交」の場になっていた。タテマエは経営についての協議の場だから議長は会社側だが、しかし、(いや、それだけに、と言うべきか)粂川さんが言うある種の「信頼感」があった。たがいに「いい職場」「いい会社」にしようという善意を信じて真剣な議論が存在した。ほんとに、そんな善意が追求できるのかどうかという問題は別として。つまり、言葉は通じていたのである。そう、共通の言葉があったのである。
 

 かつて、少数労組の配布する社前ビラを受け取った社員に、会社はそれを屑籠に投入するよう強制したことがあった。それに対し暇たち少数派組合が「言論に言論ではなく、暴力で対抗するのか」と抗議すると、会社側はすぐその強制を止めたものだ。そこには、ルース・ベネディクトが「菊と刀」で喝破した日本文化の形、「恥の意識」があった。立場は違っても共通の言葉が存在していた。
 いま、「恥」は死語なのか。