今月の「ひと」

           「御問訴事件 余話」を上梓

           真篠 久子さん(日産火災OG)


                                                                                                                       文 松久 染緒 


  

   御門訴事件

 

 権力者の意向を忖度して嘘をつく、文書を改ざん・証拠隠滅しても自らの出世を図る役人。その結果、事実が葬り去られ、国民の知る権利が損なわれるだけでなく、大きな犠牲や損害をこうむることになる。
 どこかで聞いたことのあるような話だが、明治二年にも、新任の知事が多摩地区の新田開拓の農家に対して、前年から続く凶作のもと、さらに加重して備蓄米制度(社倉)による増税を強行した事件があった。とても出せないと窮状を訴えた百姓や村役人たちは捕縛され、役所内で拷問の末、殺害された。

 小平市の「古文書を読む会」のメンバー、日産火災OGの真篠久子さん(写真)は、市発行の「こだいらの史跡めぐり」という写真集で自宅近くの高橋定右衛門の墓塔を見て、この人が「御門訴事件」の犠牲者で獄中死した人と知り、事件の当時この土地がどのようなところで、人々はいったいどんな生活をしていたのかについて想像を巡らせ、一つの物語を構想した。

 それが「御門訴事件 余話」(文芸社、1,100円+税)である。

 

   数奇な運命に翻弄されるお里


 飢饉の最中の無茶苦茶な増税に対する村人たちの訴えの発端は何だったのか?彼らが命懸けで戦った理由はいったい何だったのか。
 村役人の娘だった16歳のお里は、幼馴染のお文が、賭博で大きな借金を作り行方不明になった父親のせいで吉原に売られることを知り、拘束中の父親の病気や何やらで借金がかさんだ家のために、自分も吉原に行くことを決心する。言葉使いや動作まで全く異なる世界の吉原での修業に苦労するが、商家に身受けされ、二人の子供にも恵まれやっと安定した幸せな生活になってはじめて、お里は、父親の死の真相や、役所への訴えに参加し当時いいかわした仲の藤助の行方など、幼かった自分にはわからなかったことを確かめるために25年ぶりに実家に帰ってくる。

 

 ようやくお寺の住職から当時の真相を聞き出し、父親たちへの仕打ちがいかに残酷なものであったかを知る。一緒に吉原に売られたお文は、過労がたたり、駆けつけたお里の腕の中で息を引き取った。お里は、遺髪と形見の着物を母親に届ける。さらに藤助の行方を捜して陸奥石巻の網元までゆき、そこで藤助は漁に出たまま時化で遭難死したことを知る。お文にしても、藤助にしても、何かよくわからない大きなものに突き動かされている自分たちの運命を感じる。最後に残された藤助の風呂敷包みを胸に抱き海に向かって手を合わせると、岸壁にうち寄せる波の音がいつまでもお里の耳に残った。
 

 歴史は常に記録されたものだけが残り、それは大抵が権力者、政府、勝者の物語である。その記録の裏側には、庶民の血と汗と涙の生活、無念の思いが無数の記録されない歴史として厳に存在する。歴史に埋もれた農民たちの政府に対する命がけの戦いを掘り起こした「御門訴事件 余話」はその小さな証拠である。