松久染緒「随感録」


         罵詈雑言で権力者の目を覚まさせよ

 国会答弁で「お答えを差し控える」との発言が、直近5年間で毎年300件を超える異常事態になっている。立命館大の桜井准教授によれば、1970年から今年の10月までの半世紀を調査したところ、なかでも安倍政権下の2017年から2019年では毎年500件と極端に増加し、閣僚答弁では、安倍晋三が165件、森雅子94件、稲田朋美87件、河野太郎78件となっている。

 国会で聞かれても何も答えないのだ。政権に不都合な「モリカケ桜」だけでなく、政策全般に蔓延しているという。同準教授は「国会軽視というよりむしろ国民軽視だ。問いかけに答えるのは社会の基本マナー。一切をはねつける言葉が社会全体に広がっていないか心配だ」と。

 イタリア学会から「説明しないことこそが権力の行使であり、国民を無力化させる反民主主義の手法なのだ」という声明(毎日新聞、青野由利による)が出されたという。情報公開制度は古代ローマ時代に起源をもち、紀元前59年執政官カエサルが元老院の議事録公開制度を定めた。その結果、貴族の権力は削がれ、不正ができなくなった。民主主義の第一歩である。

 2000年後の日本では、安倍政権下で文書が改ざんされ、廃棄され、情報が隠蔽された。菅総理は官房長官時代から「答える必要はない」「指摘は当たらない」が得意だった。論理や根拠が不明の主張を聞くとだれでも落ち着かない。「多様性」が論破されたら次は「閉鎖的で既得権益化」、6人のうち加藤陽子先生以外は知らないのに「私が判断した」。説明に背を向けるだけでなく、何が何だかわからない。これで日本は大丈夫か。

 

 先の声明によれば、紀元前5世紀のアイスキュロスの戯曲「縛られたプロメテウス」で、絶対君主ゼウスに逆らって人類に火を与えたプロメテウスは、磔にされる。彼を連行した二人の名は、クラトス(権力)とビア(暴力)で、ビアは劇中一言も言葉を発しない。「無言の暴力で市民を従わせるのが権力」という例えなのだ。確かに説明なしに排除されたり、逮捕されたりでは、まるで戦前のファシズムの時代を彷彿とさせる。古代ローマには、凱旋式で将軍が思い上がらないよう部下が罵詈雑言を浴びせるという実におもしろい習わしがあったという。

 

 

一時代の権力が思い上がって国家や時間を超える学術や思想に支配介入しないよう、ここらあたりで目を覚まさせる必要があるのではないだろうか。