暇工作「課長の一分」

        人事に関することだからお答えできません


 「人事に関することですからお答えを差し控えさせていただきます」

 学術会議6名の任命拒否について、菅総理は壊れたレコーダーのごとく繰り返した。

 

 「なぜ、この社員を昇進させないのですか」

 団体交渉で会社に質すと、同じような回答が返ってきたものだ。

 それほどまでに「人事」とは秘密にしなければならないものか。しかし都合のいい場合に限っては、その人事について饒舌になるではないか。「人事」とはご都合主義の代名詞なのだ。

 しかし、誰もが知っている。学術会議の6名は政府法案などに反対したからであり、少数派組合の組合員は時として会社政策を批判するからだということを。

 かつて人事部内で少数派組合員の差別扱いに異議を唱えた社員がいた。彼はこう主張したそうだ。

 「少しくらい社内に批判派がいないと会社は健全に発展しない。多数派組合がまったく批判精神を失っている今、なおさら少数派の意見は貴重だ。彼らを排除したり、不利益を与えることは会社百年の計から言ってもマイナスだ」

 見上げた真の愛社精神だ。国でも企業でも、どんな組織でも、それが民主主義の範疇に属する限り、無理やりつくられた一枚岩より、一定のルールを前提に自由闊達な議論が保障されたところの方が発展力に勝る。構成員のやる気や幸福感にもつながる。

 「少数派組合の言い分は、残業したら残業代を払えとか、保険会社の品位を落とすような商品を売るなとか、いってみれば正義感にもとづく普通の主張をしているだけ。テロリストでもなんでもない。それくらい聞く耳持ってなにが不都合でしょうか。彼らを優遇する必要はないが、あらかじめ差別の目で見るのではなく、公平に扱うべき、ということを私は言っているのです」

 彼は、そう続けたという。権力側の内部でこうした議論があったということを暇が知ったのは数年後のことである。職場の根深いところで、民主主義的な空気が生き残っていたことに感動した。そして恐れることなく、あえて発言した当該社員には多大なる敬意を捧げたいと思ったものだ。

 しかし、そうした意見が生まれるためには、現に、少数でも闘い、まともな主張を発信し続ける人々が存在しているからこそ、だ。あらためて民主主義の多重構造性を思う。