昭和サラリーマンの追憶

昔はよかった…勤務時間後に海水浴


      

 

           前田 功

 

 先月の「昔はよかった」を読んだ知人(当時の同僚)から、懐かしくなったとメールがあった。好評に応えて、今月も昔話を・・・。

 

 私は、1968年(昭和43年)4月入社した。当時は、7月か8月の入社試験(ペーパーテストと面接)の後、すぐ採否が決まるのが普通だった。ある事情から私が就職先を探し始めたのは卒業前の2月。新聞広告を見て会社を訪問し、採用担当のK氏から話を聞いた。そしてその数日後、履歴書を提出しに会社に行った。

 午後4時20分くらいだった。すると、会社の前の歩道橋で、コートを着たK氏に会った。挨拶だけして会社に行ったが、玄関には受付嬢はもうおらず、人事課へ直接行った。先日応対してくれた女性の社員が帰る準備をしていた。履歴書を渡し、「Aさんに先ほど会社の前で会いましたが・・・」と聞くと、「定時が9時15分から4時15分ですから」と言われた。いい会社なんだなと思った。

 

 入社して数カ月過ぎたころ、部署は違うが同じ大学の2年先輩に誘われて飲みに行った。「まだ、お日様高いねえ」と言いながら飲み屋に向かった。そのとき彼が、「去年のこの頃、会社の連中と須磨へ海水浴に行ったよ。平日会社終わってから・・・。泳ぎながらお日様が拝めたよ」と言ったのが耳に残っている。(会社は大阪都心。須磨の海水浴場までは1時間半くらいかかる。)

 

 その先輩とは、よく飲んだ。明け方まで飲んで、朝5時ころ2人で会社の保健室のベッドにもぐりこんで眠り込み、9時前出社してきた保健婦さんに起こされ、あわてて職場に向かったことが数回あった。今となってはいい思い出だ。 

 私は参加していなかったが、会社に野球部があり、甲子園出場経験のある部員もいて活躍していたらしい。初夏のころは平日勤務終了後、ナイター設備などないグランドで、他社との練習試合をよくやっていたという。1イニング終わるころやっと、少し暗くなってきたそうだ。ただ、対戦相手は、損保と同じような労働条件の生保のチームに限られたそうだが・・・。

 

 社内旅行は年に1~2回。運動会もあった。大阪なら万博公園、東京なら豊島園のグランドで、5月頃の日曜日に組合の分会と会社の共催でやっていた。家族も参加するので、日頃会うことのない上司や同僚の奥さんや子供さんに会うこともできたし、事務服姿しか見たことなかった女子社員がピンクレディのようなミニスカートで踊ってくれたりして、大変楽しんだものだ。

 

 今の人たちには信じられないだろうが、当時の職場はそんな感じだった。