アクティブになった母


守屋真実

もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 


 この頃、母がアクティヴになった。正確には、「再び」アクティヴになったというべきだろう。きっかけは私が激怒したからだ。

 ことの起こりは九月の連休。母と姉の二人だけで旅行の計画を立ててしまった。お出かけ大好きな母が、コロナで外出する機会が少なかったから、久しぶりの旅行が嬉しくて舞い上がってしまったこともあるのだろうが、御年89歳ともなると目の前の楽しいことに気を取られ、他のことが視野に入らなくなる傾向があるようだ。60歳を過ぎてもまだ働きながら家事の90%以上をこなし、自由な時間のほとんどを市民運動に費やしているもう一人の娘のことは忘れてしまったらしい。

 もちろん私は怒った。腹立ちついでに「自分たちばっかり早々と食べていける年金をもらって、観劇だ旅行だと遊びまわって、子どもにはこんなひどい時代を残して何とも思わないのか!」と言ってしまった。きつすぎるかもしれないけれど、これは私が常々思っていたことだ。特に長年ドイツの好労働条件、高社会保障下で暮らしてきた私には、今の日本は本当に貧困で、生活のクオリティーは情けないほど低い。母は今でも保健生協の活動などに参加しているけれど、私の目には富裕年金生活者の社交の場に見える。高齢者医療費や年金切り下げに反対することはあっても、雇用や労働問題など若い世代のために声を上げることは少ない。だから「子供がかわいそうだと思うなら一緒に闘ってよ!」と怒鳴ってしまった。母は泣きそうな顔をしていた。もしかしたら本当に泣いたのかもしれない。

 でも、そうしたら母は本当に動いた。9月11日の経産省前テント広場にも、19日の総がかり行動にも、一緒に来るはずだった年下の友人が体調不良で参加できなくなっても、母は一人でやって来た。私も出演した10月4日ギャラリー古藤でのミニコンサートの前には、みんなで歌う歌を盛り上げられるようにと一生懸命練習してくれた。少々お調子乗りなところはあるけれど、高齢になっても自分を戒められる義務感と責任感の強い人なのだと思う。

 私が今、貧乏暇なしの生活をしていても卑屈になることもなく、絶望することもなく前を向いていられるのは、両親から闘うことを教わってきたからだ。ひどい世の中なら、闘って変えればいいじゃないかと思えるからだ。そして、行動を起こせば仲間ができ、さらに勇気と希望が湧く。逆に言えば、闘うことを教わらずに育った人は不幸だ。読者諸氏も今ある活動を引き継いでもらうためばかりではなく、子どもや孫自身のために、親が誇りをもって闘う姿を見せてあげて欲しい。市民は無力ではないことを教え、いつでも希望を見出せる人間に育ててあげて欲しい。

 今は腹が立つことも多いけれど、いつか母がいなくなった時、膝にプラカードを載せて国会正門前の石垣に座っていた姿を思い出して誇りに思うだろう。それまでにまだ長い時間があることを願う。母は私にとって一番身近な同志なのだから。(写真は母と私)