大杉良夫「自動車保険事件簿」

               アフ・ロス


 アフ・ロスとは、after・loss、業界では事故が起きてから保険を付ける不法行為を指す。

 契約したばかりの高級外車の事故の第一報が入ってきた。山中で谷に転落したというのである。崖の途中に生えていた大木に助けられて、運転手は無事脱出したが、時価数百万の車両は大破したという。こういう事故に接すると、直感的に「アフ・ロスではないか」と疑ってしまうのが損害調査マンの悲しき性である。契約日は明確だから問題は事故日が報告通りかどうか、である。

 

 調査のために現地に出かけた。車両はそのまま斜面の中ほどの大木の幹に引っかかったままの状態で残っていた。

 とりあえず、所有者、運転者、通報を受けて現場に駆け付けた作業員などから順次話を聞くことにした。もちろん警察にも足を運んだ。運転手の話があいまいだった。そもそも運転していた日時をよく覚えていないという。そんなことがあり得るのか。そのうち、作業員が「あの日は雨が降っていた。車はスリップしたんじゃないかと思った」と証言する。調べてみると、事故日と報告されてる日は快晴で、雨が降ったのは保険契約日の一日前ということが分かってきた。「やはりアフ・ロスだ」。

 支払い拒否の決断を下そうとしたところへ、証言した作業員から訂正電話がかかってきた。「あれは思い違いでした」。明らかになんらかの圧力を感じさせる雰囲気があった。しかも、ご丁寧に、その直後に某保守系政党の代議士から契約者の扱い代理店を通じて上司に「保険の支払いをよろしく」という電話が入っている。契約者は各方面に顔の利く「大物」らしい。私に向ける上司の顔にも「だからさあ…まあ…無理するなよ」と書いてある。

 ところが事件は急転回する。実は、当該車両の事故現場付近は、数日前、デパート勤務の女性が暴行殺害されたという忌まわしい現場でもあったのだが、警察の捜査の過程で容疑者として挙げられたのが、事故車両に関わった一人だったことが判明したのだ。事故車両はその事件に関わっていたのかどうか。関わっていたとすれば、どういうストーリーで繋がってくるのか。疑惑と推測は膨らむばかりだったが、何故か、殺人事件の容疑者報道を機に、契約者からの保険金請求はぷっつりと途絶えてしまった。

 

 アフ・ロスかどうかの問題は、こうして自然消滅した。支払い担当者としての話はここで終わりである。それにしても殺人事件の犯人は挙げられたのであろうか。捜査は進展したのだろうか?その後、報道を追ってはみたが、いまだに真相が明らかになったというニュースには接していない気がする。そちらの方が今でも気になっている。