損保経営者は薦めそうもない本


 谷垣真理子『「第二の返還」を迎えた香港』(「UP」9月号 東京大学出版会)

               

                岡本 敏則

 


 今月も「UP」9月号から、香港版「国家安全維持法」についての論考を紹介する。谷垣氏は1960年生、東京大学大学院総合文化研究科教授、専攻は現代香港論。

 

◎はじめに

 

 「香港の『一国二制度』が重大な局面を迎えている。2020年5月21日、全国人民代表者会議(中国の国会に相当)の開催の前日の夜、香港・マカオ地区政治協商会議代表に対し、香港版国家安全維持法が翌日から審議に付されることが唐突に告げられた。

 5月28日、全人代は香港版国家安全法を制定することを、賛成2897票、反対1票、棄権6票の圧倒的多数で採択して閉幕した。6月18日には全人代常務委員会(全人代閉幕時に同職務を代行)において『香港国家安全維持法』の制定作業が行われ、6月30日全会一致で可決された。習近平国家主席が公布し、同日の夜11時に香港特別行政区政府は同法を施行した。返還23年目の2020年7月1日、香港は国家安全法下の最初の朝を迎えた。なお、中国大陸では習近平政権が2014年4月に『総体国家安全観』を提唱し、2015年にはそれを具現化した『国家安全法』が制定されている。」

 

◎国家安全法の成立の背景

 

 「国家安全法は2019年の香港の大規模抗議活動への中央政府の対処である。2019年の立法会(香港の議会)に提案された、中国本土への容疑者移送を可能とする「逃亡犯条例」修正は、大規模抗議活動を招来した。9月4日に正式撤回されても、抗議活動は収まらなかった。10月末の中国共産党第19期中央委員会第4回全体会議で、中央政府は香港に『国家の安全を守るための法と執行制度を確立』し『止暴制乱』することを強調した。国家安全法の制定はそれが実行されたことになる。」

 

◎国家安全法の概要

 

 「第1章が総則、第2章が香港特別行政区の国家安全維持の職責と機構、第3章が犯罪行為と処罰、第4章が管轄権と適用する法律およびその手順、第5章が中央人民政府の国家安全維持機関、第6章が附則であり、全部で6章66ヵ条からなる。同法には国家安全を脅かす行為として、①国家分裂、②国家政権転覆、③テロ活動、④外国・域外の勢力と結託して国家の安全に危害を加える行為、があげられている。香港では死刑が廃止されており、これらの4つの行為への処罰は一律に最高刑か無期懲役と規定されている。

 ちなみに日本では刑法第77条が内乱罪を定めており、首謀者は死刑又は無期禁錮に処せられる。また第81条は外患誘致罪を定め『外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は死刑に処する』と定めている。革命やクーデター未遂を想定している。」

 

◎国家安全法成立以後

 

 「人々を驚かせたのは、第38条で、香港特別行政区の永住権(香港市民権)を有さない者も、同法の処罰の対象とし、域外適用を明記している点である。これは、外国人が香港もしくは域外で触法行為をした場合も、同法で罰せられることを意味する。

 7月1日は、香港の親中国系紙が『第二の返還』『香港特別行政区の再出発』と報じて祝賀ムードを演出した。香港国家版安全法は、中国大陸の国家安全法と同様に、政治だけではなく、学校、社会団体、メディア、インターネットを視野に入れたより総体的なものである。中国国内では新疆ウイグル自治区にウイグル族の強制収容所が建設されたように、広東省と香港・マカオを一体化した「大湾区」には、香港人の強制収容所が建設されるのではないかと噂されている。2047年(返還50周年)への折り返しよりも少し早く、香港は二度目の返還を迎え、国家安全法の制定により中国内地との一層の一体化への道筋がつけられた。国家安全法以前、香港人の『反抗』とは香港行政区政府への対峙と表現できたが、国家安全法の施行以後、対峙する相手は中央政府、さらに執政党である中国共産党となる。」