暇工作「課長の一分」


           労働者代表委員選挙

 

 東京新聞が「名ばかり労働者代表蔓延」という記事をトップ記事で報じた。職場に労働者の過半数を超える労働組合がない場合の協議相手としての「労働者代表委員」を選出する場合、事実上、会社の「指名」がまかり通っているということを指摘したものだ。

4年ほど前、A損保で、「労働者代表委員」選挙があった。全労連損保関連支部に所属するO氏が立候補した。全労連A損保支部は、社内では唯一の労組である。会社と団体交渉も行っている。労働者代表に選出されなくても交渉権は持っているのだが、それでも労働者代表に選ばれて、全労働者代表という形が整えば、いっそう発言力は増す。

 

当該職場の代表委員定員は1名。候補者は4名、うち2人が会社の「推薦」と思しき候補で、全労連支部からはO氏以外にもう1人が立候補した。一人区なのに、なぜ野党共闘のように候補者を一本化しなかったという問題は残るが、ともかく、いずれも予想外の健闘で当選まであとわずかだった。

 

選挙では会社側による、O氏などの当選阻止を狙った姑息な妨害工作があった。

会社は立候補者を公示したが、冒頭に紹介される候補者が実質的に「会社の一押し」候補というのが職場の共通認識。当然、O氏は下位紹介であった。O氏は会社に質した。「当社では、社員名を公示するときは、あいうえお順が会社のtheoryでしたね。代表委員選挙でもそれを貫くべきでしょう?」。会社はいう。「今回の表示は氏ではなく名のアルファベット順にした」と。

要するに目的が最初にありきで、理屈は後付けなのだ。

ところで、既存の労働組合の幹部選出。こちらにもどれだけ「民意」が反映されているだろうか。「どうせ、会社の肝いり連中がやるんだろ」と大半の労働者は白けている。組合自体の制度はあっても、裏で会社が差配しているところが多いから、ほとんど関心が向かない。

 

社会には政治不信がはびこり選挙に行かない人が国民の半数を占める。職場でも労働組合不信が募り、労働組合の存在意義は風前の灯。仏に魂を入れるのは、主権者のたたかいなのだが。