斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

          テレビと日本人

 7月下旬のマスコミ、特にテレビは吉本興業一色に染まった。最初は一部芸人のオレオレ詐欺グループへの闇営業問題だったのが、いつの間にか吉本内部の内輪もめこそ最優先の重大ニュース、という扱いに変容していったのだから、呆れてものも言えない。

 

 それで唐突に連想したのが、5月の改元騒動だ。およそ日本国内でだけの決め事を、マスコミは「新時代の到来!」云々と、世界が一新される証でもあるかのように演出してみせていた。

 

 もっとも圧倒的多数派は、マスコミの思惑通りには動かなかった。今や新元号「令和」が強調される局面など、まず見られない。しばしば民度の低さが指摘される日本人の、それでもこれは健全なバランス感覚と言うべきなのだろう。

 

 そう言えば、政府が志向する「大日本帝国への回帰」を肯定し、あろうことかその宣伝機能を買って出たかのようなNHKの大河ドラマが、軒並み低視聴率に終わってきた事実も興味深い。日露戦争を美化した「坂の上の雲」、大東亜共栄圏構想の始祖ともいわれる吉田松陰の妹が主人公の「花燃ゆ」、明治維新の元勲の代表格・西郷隆盛の「西郷(せご)どん」

 

 ドラマばかりではない。政府が巨額の血税を費消して大大展開した昨年の「明治150年」キャンペーンも、まるっきり不発だったではないか。

 

 こうした現象から推察されるのは、権力に従順に見えて、実は面従腹背、したたかに生きる日本人の本質――だと自画自賛したくもなるのだが、それもいつまで続くやら。テレビの吉本バカ話が、いずれ連中の安倍政権との癒着や、「お笑い」の政府広報化問題の追及に発展するなら面白い。だが、それだけは避けつつ、ひたすらバカ話に終始している番組が視界に入ってしまうたび、私はこの国の社会の、根源的な禍々しさを感じて、絶望的な気分に陥るのである。