そんぽ随感録 「かんぽの不正」
浜の真砂はつきるとも
前田 功
かんぽの不正、18万件もあるという。私利私欲におぼれたダメな局員がこっそりやったという規模ではない。組織を挙げてやっていたとしか考えられない。
郵便局は明治以来、国の機関として絶対的信頼を得てきた。郵便局が悪いことするはずがないと思われていた。その信頼を利用した組織を挙げての不正である。
「あそこが不正などするはずがない」と思っていた会社の不正がこの数年、頻繁に報道されている。神戸製鋼、日産、スズキ、スバルなど自動車各社、商工中金、スルガ銀行、レオパレスなどなど・・・挙げればきりがない。盤石と思われていた日本の大企業への信頼がガラガラと崩れていく。
不正というのは、組織と自分の利益のために、他人を欺くことを目的とした意図的な行為であり、結果として、損失を被る被害者を発生させる。こう考えると、佐川君(理財局長、のちに国税庁長官に栄転)がアベへの忖度と財務省の面子のために行った文書の改ざん・廃棄も同類だ。
損保でも昔、似たようなことがあった。積立傷害フィーバーだ。営業部門以外の人にもノルマがかけられ、ノルマ未達の人だけ集められて担当役員に怒鳴られたり、自爆(自腹営業)を強要されたりした。今回のかんぽでも、ノルマ未達の人は「研修」と称して集められているそうだ。その内容はパワハラそのものだと言う。
日本郵便は自動車保険も扱っている。損保5社共同開発で東海が幹事の郵便局扱い専用の保険だ。9万7千件もあるという。(5社とは、あいおいニッセイ同和、損保ジャパン、AIG、三井住友、東海日動)
「東海日動が自動車保険についても不正はないか調査開始」という報道があった。どんな不正が出てくるか。架空契約?二重契約?…。東海の調査結果は、まだ明らかにされていない。
話は少し変わるが、昭和世代の筆者には、郵便局というと、ノルマなどないいい職場というイメージがあった。それがいつからこうなったのだろう。郵政民営化で、2006年西川善文氏が郵政の社長になった。西川氏はノルマの厳しさで有名な住友銀行の出身。西川氏は「かんぽの宿」の売却不正で退任させられたが、日本郵便の現在の社長横山邦男氏も住友銀行の出身。民営化後の住友型ノルマ経営の果てが今回の不正騒動というわけだ。
「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」という。この世にノルマがある限り、この種の不正は尽きないだろう。
それとともに、この「郵便局の自動車保険」は、以前「損保のなかま」で触れたディーラー扱い専用自動車保険と同様、一般代理店を圧迫するものだと思う。
社会の調和と安泰に必要な五常の徳は、「仁・義・礼・智・信」だと儒教が教えている。なかでも重要なのが「仁」と「義」である。それは人間が守るべき道徳で、礼儀上なすべき努めのことである。日本人が大切にしている基本的な価値観でもある。
10月10日、公明党は政権を離脱した。
公明党は連立維持の条件として「靖国神社参拝」「裏金問題の解明」「企業献金問題」の対応を連立維持の条件としていたが、これらに対して自民党から明確な回答がなかったからだとしているが、自民党は「一方的に告げられた」と言っている。
私は、公明党が連立の条件を出したとき、その条件に一瞬「今さら?」という気がした。連立を組んで26年、その間、それらは何度も問題になったはずである。それを容認(?)してきたのに、なぜ、今になってそれを頑なに主張するのかと思ったのだ。だが、それは、民意に押されているからだと好意的に解釈していた。
自民党の党大会で、高市早苗が総裁になり、麻生太郎が副総裁になった。常識的に考えると、新総裁はいの一番に連立を組んできた公明党に挨拶に出向き、その上で「今後、どうしましょうか?」と相談するのが筋であろう。
だが、そうではなかった。高市と麻生が最初に会ったのが、国民民主党代表の玉木雄一郎だったのだ。当然、政権協力の話をしたのだろう。
「仁」と「義」に続くのが「礼」である。これも日本人の基本的な価値観で、日本人はこれらに欠ける人間を徹底的に嫌う。
自民党は、支えてくれた公明党に「仁義」も「礼節」も示さなかった。公明党からすればそれは侮蔑されたことであり、屈辱と怒りを感じたはずである。私だって相手がそういう人間なら、さっさと見切りをつけて縁を切るはずだ。
1973(昭和48)年『仁義なき戦い』という映画があった。シリーズで5作創られ、1999(平成11)年「日本映画遺産200」にも選ばれている。
ヤクザを主人公にしているが、ヤクザ映画でも任侠映画でもない。義理と人情、恩義と裏切り、愛と憎悪、怨念と殺戮を描いた群衆活劇で、戦後日本の暗黒社会を描いていた。
石破首相の退陣から総裁選、新総裁誕生と今までの政局をみていると、権力を握るための打算と工作、陰で暗躍する長老たちばかりが目につく。映画は「仁義なき社会は抗争を生む」といっていたが、自民党内部はまるでこの映画のようである。
かつて、自民党と有権者は、政策より義理と人情でつながっているといわれていた。そのころの自民党には、まだ「仁・義・礼」もあったということだろうが、今はカネがすべてのようだ。「五常」の残るは「智(道理をよく知り、知識が豊富)」と「信(情に厚く真実を告げ約束を守る)」だが、自民党はそれさえも失ってはいないか。