暇工作「課長の一分」


           歩がよく働いとる…

 

当時のT社長が、どこでどう意気投合したのか、かつて名人位も獲得したことのある伝説的将棋の大棋士M氏をアドバイザー的存在として社内に引き入れるという思い付き人事を行った。

といっても、M氏が社内で正式にどういう肩書だったかは定かでないし、結局はさまざまな矛盾が生じてお引き取り願うことになった経緯についても暇はよくは知らない。だが、M氏の次のような発言だけはよく覚えている。

 

「この会社は、歩がよく働いとる。歩が働く会社はいい会社だ」

 

将棋の棋士としては「どや、うまい比喩だろう」と、M氏、内心得意満面だったのだろう。「どや顔」が目に浮かぶ。

だが、「歩がよく働いている」の前に(王様=社長のために)という文字が隠されていることは、M氏が社長付きであり、社長を意識した発言であることから容易に読み取れる。だから、M氏発言から社員が否応なくイメージするのは、働きバチと女王バチの世界だ。

「世間、歩がなきゃ、成り立たぬ…」(「歩」北島三郎)のは一面の真理だが、王様以外の駒はすべて王様のために犠牲になるという論理で成り立っている将棋のゲーム世界の秩序を、そのまま企業内の秩序に置き換えられたのでは、社員たるもの、たまったものじゃない。

たしかに、現実社会は企業ファーストだ。そこで社員が「捨て駒」にされている実態はいうまでもない。しかし、その矛盾を認識し、企業ファーストを批判的に見つめる心を持つことこそ、一流を極めた人に求められる知見ではないか。「歩には歩なりの意地がある」のだし、「歩の心」を知ってこそ、社会のありようを考えることができるのではないか。

そもそも、将棋や囲碁の棋士は、局面を把握するうえで、自分に都合にいい「読み」を前提にはしない。相手の側に立って考察する広い視点がなければ勝利を収めることなどできないはずだ。つまり、物事を様々な角度から客観的に評価する能力があるからこそ一流を極められる。

権威に対して歯に衣着せぬ発言、行動を繰り返し、大衆に基盤を置くヒーローだと思っていたM氏だが、結局は社長の視座から社員を眺める俗物に過ぎなかったのだ。