当世損調事情


ケーキもってお見舞いに行ったらいかがでしょう

                                                                                                                     杉野 晴夫


 

20歳の契約者A子さんが歩行中の80歳代の女性をはね、被害者は足を骨折、入院する重傷を負った。この女性被害者は一人暮らしということもあって、入院の長期化が予想された。また、被害者側にも若干の過失があったので、健康保険適用を頼んだ。しかし、被害者側の代理人弁護士は「過失があったとしてもごくわずか。本人には理解できないでしょう」と難色を示す。そのうち、「入院中、家の植木が枯れる恐れがあるので職人を頼みたいが費用を認めてほしい」との申し出があった。職人でなくても隣人でもできることではあるが、ともかく、病室に見舞がてら相談に行くことにした。被害者のベッドに名前と生年月日が記載された名札がある。何気なく見ると、なんと本日が誕生日ではないか。

 

「せっかくのお誕生日に、お邪魔して申し訳ありません。お孫さんかどなたかがケーキでも持ってお祝いにお見えなんでしょうね」。咄嗟に出た言葉だったが、どうやら余計なことを言ってしまったようだった。彼女、うっすらと涙を浮かべて小さな声で「…忙しいからネえ」とつぶやく。

 

せめて植木職人の費用は認めてあげなければ…自責の念に駆られながら、帰社後、加害者のA子さんに電話をした。

 

「どうですか、今日は被害者の誕生日なんですよ。小さなケーキでも買ってお見舞いに行ってあげたら」

 

数日後、代理人から「健保OK」の電話があった。A子さんの見舞いが被害者の心を開かせたようだ。わたしは、そういう結果を計算してA子さんに行動を求めたわけではない。被害者の寂しそうな姿を見て、人として何かできないかという気持ちになっただけだ。私にも年老いた母親がいる。その母親が一人ぼっちになり、誰も見舞いに来ない境遇になったら…と想像するといたたまれなかった。

 

被害者と加害者は不幸な事故でつながりを持った。望んだ関係ではないが、それも人間関係である。さまざまな関係性をお互いの理解と、共感で発展させることができれば、社会も少しずつほのぼのとしたものになっていくのではないか。そんな夢を見る。