暇工作「課長の一分」


      本音に敵わぬ定型発言

 

 プロ野球試合後のヒーローインタビューが面白くない。「あのときどんな思いで打席に入りましたか」「投手が頑張っていたんで、なんとか打ちたいと思っていました」「打球がセンターの抜けました」「打ててよかったです」「最後にファンの方へのメッセージを」「これからも一戦一戦がんばっていくので応援よろしくお願いします」

 

 聞く側も答える方も、いつも決まりきった定型フレーズ。もう暇も覚えてしまった。アナウンサーや選手たちに個性がないからではない。失言を防ぐために発言が制限されているからだ。身の安全だけを念頭に置いたやり取りなんてファンの心に今一つ響かない。

 

ファミレスでも同じ。お客はウエイトレスの決められたセリフの聞き役だ。損保だって似たようなものだ。職場内でも、契約者との接点でも、代理店との関係においても、コミュニケーションは極めて平板で定型的だ。

 

自由奔放な発言は、たしかにリスクを伴う。だが、本音を隠したままでは人間同士の魂の触れ合いは深まらない。守りだけの世界に真実は現れてこない。

 

損保が合従連衡の時代に入る少し前の頃だ。その時はまだ(誰も)知る由もなかったが、その後、合併相手となるT社は、当社のライバル企業と位置付けられていた。「T社を超えろ」は合言葉、管理者による尻たたき用定型フレーズだった。T社と当社のすべての指標がグラフになって職場に貼りだされ、連日、容赦のない数字追求が続いた。そんなある日の決起集会のことだ。営業課長の定型フレーズに反抗した若い営業マンがいた。

 

「課長、どうしてT社を超えなきゃいけないんですか?抜いた後はどうなるんですか?」

 

日頃は従順な社員なのに、予算消化に明け暮れる毎日で、疲労困憊していた故に思わず出てしまった本音なのか。それとも意識的で覚悟の反逆だったのか。

 

気の毒だったのは聞かれた課長だ。そんな想定外の問いに対する定模範解答など教わっていなかった。汗びっしょりで口もごもご…管理者の権威は地に落ちた。

 

でも、これって難問だったと思う。ライバル社を超えて業界での順位を上げたとしても、それでハッピーエンドなんかじゃない。当然次の標的会社が現れる。その次は?次の次は?つまり目標なんてエンドレスなのだから。そうした本源的問題に迫るには、定型的問答集を覚えるだけでは無理というもの。なにより本音のディベートが存在しない世界では猶更だ。