損保経営者が薦めそうもない本


  NHKスペシャル取材班『日本海軍400時間の証言』新潮社

       

                岡本敏則

 


 敗戦から74年目の夏を迎える。明治維新から74年目は1942年(昭和17年)、太平洋戦争開戦から2年目、ミッドウェー海戦(65日~7日)で連合艦隊の空母4隻が撃沈され、戦局が大きく変わった年であった。

 10年前の20098月、NHKスペシャル「日本海軍400時間」が3回にわたって放映された。本書は、その取材班が番組を総括した本である。執筆者は記者、ディレクター、プロデューサー。1980年から1991年まで分かっているだけで131回にわたって元帝国海軍士官のOB組織である「水交会」で「海軍反省会」が開かれていた。参加者は軍令部や海軍省に所属していたエリート軍人であった。その時の録音されたテープは400時間に及ぶ。そのテープと、元軍人など関係者に直接取材し、「スペシャル番組」が制作された。
 では証言を見て行こう。作戦課参謀三代元大佐「内乱を起すと人数上ですね、海軍は陸軍にかなわないから何か月後には鎮定され、右翼の内閣が出来てですね、どうせ戦争をやるなら少しでも勝ち目のあるうちにやるべきだと、永野軍令部総長は言われましたね」。
 高田元少将「海軍の心理状態は非常にデリケートで、本当に日米交渉妥結したい、戦争しないで片づけたい。しかし、海軍は意気地がないと何とか言われるようなことはしたくないという感情ですね。ぶちあけたところを言えば」。
 三代元大佐「海軍が、アメリカと戦えないというようなことを言ったことですね、陸軍の耳に入るとそれを利用されてしまうと。海軍は今まで軍備拡張のために随分予算を使ったじゃないか、それで戦えないというなら予算を削って陸軍に寄こせと言い出しかねない」。

 同大佐「ミッドウェー海戦を主導したのは山本連合艦隊司令長官だった。山本長官は鼻っ柱が強くて、真珠湾攻撃が成功したもんだから、ますます山本長官が強くなった。永野総長の処に参りますと“そうか、それじゃ山本にやらせてみよう”というようなことで決めちゃった」。

 東京裁判について豊田元大佐「東京裁判関係。政府決定の弁護方針。これは20年の1023日に次官会議でまず決定いたしました。いわゆる戦争犯罪人、政治犯人、弁護方針。それから根本目的。至尊に煩塁を及ぼしたてまつらざる事。帝国として被害を最小に防止すること。政府の要路におった人は大臣、総長、皆ね、答弁がまちまちにならない様にね、みんな話し合って、答弁の骨子になるものが、ちゃんとできたものが残っているよ」。

 

 取材班の総括「組織優先で個人を無視する。失敗したときの責任の所在の曖昧さ。流れに身を任せた結果生まれる“やましき沈黙”」。