みんなで歌おうよ③ 「ひとりの手」


守屋真実

もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 


 

映画「ザ・思いやり」を作ったリラン・バクレー監督が、新しい作品「戦争を許さない芸人たち」(仮題)を製作中だというチラシをもらった。大いに期待しているので早速製作支援カンパを送ろうと思ったら、『一円からでも受け付けていますが。個人一口一万円以上でエンドロールにお名前掲載』と書いてある。べつに名前は載らなくてもいいのだが、こう書いてあるとなんだか一万円以上送らなければいけないような気がしてしまう。かと言って私は、ポンと一万円を出せるほど金持ちではない。

 

 これまで、沖縄意見広告運動のカンパ等、いつも6~7人で出し合って一万円集めてきたが、今回は、一口百円からのカンパを募ることにして、自宅の地域で顔の広い母が友人たちに声をかけ、私が国会周辺で一緒に歌う仲間たちに声をかけることにした。このやり方で2000円くらいになるかと思っていたら、なんと8200円も集まった。千円札も3枚あったけれど、そのほかは100円、500円硬貨だ。ざっと数えて30人以上の人が協力してくれたことになる。文字通り重みのあるカンパとなったことに感激すると同時に、今まで「協力したいけど、たくさんは出せない」という人を切り捨てていたのかもしれないと反省した。社会活動が経済的に余裕のある人だけのものになってしまったら、本当に声を上げねばならない人々が置き去りにされてしまう。

 

 山本薩夫監督が映画「荷車の歌」を制作したとき、全国の農協婦人部で10円カンパを募り、3200万円を集めたそうだ。映画の完成が1959年だから、お金を集めたのは私が生まれたころで、社会全体が今よりはるかに貧しかった。それでも、小さな市民の小さな善意が大きな力になることを示した。

 

 当時と比べて今は、物は溢れ、浪費され、一見豊かになったように見えるけれど、市民の生活は本当に豊かになっただろうか。労働条件や労働環境は本当に良くなっただろうか。自由や権利は守られているだろうか。これからも平和を守れるだろうか。百年安心のはずの年金も嘘だとわかった今、私たちはもう一度、小さな力を寄せ合った時代に立ち返り、国民の生活を本当に豊かにする力を私たち自身で生み出さねばならない。

 

 一人の人間は/とても弱いけれど/それでも みんながみんなが集まれば/強くなれる/強くなれる*

 

 私たちの内にある力を信じて、みんなで歌いましょう。

 

 (*ひとりの手 アレックス・コンフォート作詞、ピート・シーガー作曲、本田路津子訳詞)