当世損調事情


大津園児歩道事故に思う

                                                                                                                     大野 省三


 「あの事故では、園児の列に突っ込んだ車の運転手ではなく、その原因となった右折車の運転手が逮捕されたというのはどういうわけですか?保険はどちらの車から出るのですか?」

 R子さんが聞いてきた。大津市の交差点で右折車と直進車が衝突し、直進車が歩道に乗り上げて散歩中の保育園児の列に突っ込み、2人の園児が死亡し、14名が重軽傷を負ったという、連休明け5月8日の事故のことである。

 この事故では、直接園児に突っ込んだ直進車の運転手は、事故後、事情を聴かれた後、すぐに解放されているが、右折車の運転者は過失傷害の疑いで逮捕された。「交差点では直線車が優先。だから明らかに右折した方が悪い。そんなことは保険に関係なく、国民の常識だろうが。保険金支払いは、共同不法行為として両方の車から相応の割合で行われる。それくらい損保会社の社員なら常識だろうが」R子さんの質問を受けて、Y君が怒鳴っていた。

 国民の常識と保険会社社員の常識か。だが、それで事故解析は完了、なのだろうか。仮に、あの交差点にガードレールがなかったのが行政の「不注意」だったとすれば、その「過失」は、どこにどう反映されるのか。保険は何も答えない。

 さらに考えを進めれば、園児はなぜ危険な自動車道路の側面歩道で「外歩き」をしなければならなかったのか。運動場なしの保育園施設が、急速に増えている現状の責任はどこにあるのか。「前をよく見ていなかった」という直進車の運転手の責任は免れないが、その加害者だけを悪者にして終わりでいいのか。ヒューマン・エラーを皆無にすることなどできないとすれば、国中に車を溢れさせ、本来は子供たちの遊び場でさえあった道路の優先権を力ずくで奪った自動車メーカーの責任はどうなのか。

 そうした様々な疑問が背後には重なっている。保険は、金を払うことで、それら多次元にわたる考察にストップをかける。保険の社会的責務を自覚し、誇りを持って仕事をしている我々だが、どうしても思考が「保険ワールド」に限定されてしまう。木を見て森を見ない姿勢になる。ときには職業的領域をはみ出した意識的な思考が必要だと思った。(写真は日本テレビの画面から)