現代損保考


             

 

軍事に関わり深める損保

 

元防衛事務次官、三井住友海上へ

 

  昨年8月29日、「安全保障と防衛力に関する懇談会」(以下懇談会と略)という審議会の第一回会合が開催された。このメンバーの中に元防衛事務次官の黒江哲郎氏がいることに「損保のなかま」は注目した。黒江氏は三井住友海上火災顧問である。
 防衛省の事務次官といえば日本の防衛政策の推進に当たり、その中心を担うのが役割だが、ご存じのように、黒江氏は南スーダンに派遣された陸上自衛隊の日報隠匿の責任をとって辞任した人物である。
 そういう経歴にもかかわらず、三井住友海上が黒江氏を「三顧の礼」をもって迎えたことに、健全な社会的常識の持ち主なら違和感を覚えよう。「恥も外聞もなく」とはよくいわれる喩だが、世間には背を向けても同社なりの計算、深謀遠慮があったはずである。
   三井住友にとって、損保にとって黒江氏とはいったい、どんな利得をもたらす人物なのか?政権の「防衛政策」と損保の一体化はどのように進んでいるのか。以下本文では、そういった問題を考えてみたい。
 黒江氏の役割とは何か。三井住友海上だけでなく、日本の損保業界が今後収益の柱にしたいと考えているサイバー保険に対するアドバイスや情報を提供する、とりあえずは、そういう役割を果たすことを望まれていると思われる。同氏の「サイバー分野」における豊富な知識を持っているからだ。
 政府と懇談会のメンバーが宇宙・サイバー分野の対応を巡り協議するなかで、有識者から政府のサイバー防衛の体制が「脆弱だ」として能力向上を求める声が相次いだが、こういう声を率先してあげたのが黒江氏などだ。同氏は防衛省において対中国や北朝鮮を想定したサイバー攻撃に対する防御計画の中心を担ってきた。
 防衛予算の増額や、アメリカからの兵器の買い付けに替わる日本自前の武器の生産を唱え、政府に促している経団連(日本経営団体連合会)の防衛産業委員会がある。そこで、黒江氏は「防衛装備政策を進めるために独創的・先進的な技術を活用することが重要である」と発言している。「防衛装備政策を進めるために独創的・先進的な技術」とはイージス(目標の捜索・探知から情報処理、撃までを自動処理する高性能対空ミサイルシステム)やステルス技術(レーダーによる探知を難しくする軍事技術)もそうだが、サイバー攻撃に対する防御技術もまさしくそれに該当する。2016年7月、同氏が防衛事務次官として「わが国の防衛産業政策」と題した講演を行ったときのことである。
 では、サイバー攻撃は一体どのくらい増えているのか? ビジネスメールによる詐欺に限ってみても、昨年7月の米FBIの報告によると、「2013年10月から18年の4年半の累計で、ビジネスメール詐欺に関する世界の被害は件数ベースで70,861件、損失額ベースで約125憶ドルに達している(『サイバーセキュリティ』谷脇康彦・総務省総合通信基盤局長著・岩波新書所収)。「すべてのものがインターネットにつながる」IoT(*注1)が急速に普及していくなかで、IoT機器に対するサイバー攻撃も激増し、2015年から17年の2年間だけで5.7倍増加している。乗っ取られたIoT機器、例えば防犯カメラから映像情報が漏れてネットで公開されたり、IoT機器が攻撃者の指示のままに「踏み台」となって、特定のサーバーをいっせいに攻撃する事案も今後急速に増えていくことが懸念されている。
 損保にとっては、コネクテッドカー、インターネットなどの情報端末でつながり、IT機器として機能する車に対するサイバーセキュリティが差し迫った課題となっている。現在は事故や故障の通報、スマートフォンを使って離れた場所からヘッドライトを点灯させて駐車位置を確かめる操作などが主に使われているが、今後は自動運転技術やクラウドサービス、AIとも連携しながら、つながる車としてのサービスが飛躍的に発展すると見込まれている。しかし、ネットワークとの連携によって得られる多様な利便性は様々なリスクと表裏一体で、なかでもサイバー攻撃は最大のリスクで、最悪の場合はアクセル・ブレーキ・ハンドルの駆動系の制御が乗っ取られたりする恐れさえある。ハンドルもアクセルもないタイプの自動運転車のコントロールを攻撃者に奪われてしまったら、ドライバーは手も足も出ない(『ビジネスを揺るがす 100のリスク』 日経BP社)。
 一方、保険会社にとって急増するサイバーリスクの備えに対するニーズは収益の材料である。サイバー保険は欧米ではすでに主要の種目になりつつあり、むしろ自動車保険や火災保険をしのいでニーズが拡大しているが、日本での普及はまだこれからだ。日本で取り扱われているサイバー保険は別表のとおりだ。また、東京海上HDは買収中心であった海外戦略を転換し、必要に応じて海外子会社の売却に動き、得た資金を成長分野の開拓に振り向ける方針を打ち出している。その分野の一つがサイバー保険など特殊保険分野の強化だ(日経電子版 2018.10.31)。三井住友海上とあいおいニッセイ同和損保も、米通信大手ベライン・コミュニケーションズと提携し、企業向けにサイバー攻撃のリスク診断サービスを始めた。
 サイバー攻撃の手口は今後、ますます巧妙、複雑かつ大規模になるだろう。損保のサイバー保険もそれに応じて対応していくことになる。
 こうしてみると、黒江氏が防衛上で果たしてきたことと、リンクして同氏の損保における役割はいうまでもないいや、黒江氏だけではない。もともと損保業界と防衛省とのつながり、一体化は根深い。自衛隊からの天下りも極めて多い業界だ。
 昨年9月30日付で公表された内閣官房および防衛省の資料「自衛隊法第65条の11第6項の規定に基づく自衛隊員の再就職状況の公表について」によると、防衛省官僚と自衛隊員の退職者225名のうち、生損保に再就職した人は18名である。これは自賠責の査定事務所、あるいは大手の代理店に就職した自衛隊員も含めた人数で、天下りといってもそうした地位、職種の人が多い。それでも、少なからぬ人数について生損保が再就職を受け入れているのは、防衛省や自衛隊から何らかの見返りがあればこそだ。しかし、そういう持ちつ持たれつの関係は、例えばイラク戦争や南スーダンの陸上自衛隊員の派遣に伴い、損保が禁じ手を使ってPKO保険を特売し、隊員がそれを付保するといった歪んだ関係を生み出す基ともなっている。
 防衛次官という特に高官であった黒江氏の三井住友海上への再就職が、いま防衛や自民党の国防族が進めている中国によるサイバー攻撃に対する防御網の構築という高度に軍事的な課題に盛り込まれる技術を、損保も利用させてもらうという含みや期待を持ったものであるとすれば、それは損保が政権の軍事的側面に深く関与していくことの裏書きでもある。
 先月18日に閣議決定された「防衛大綱」には「有事において、相手国がわが国への攻撃に用いるサイバー空間の利用を妨げる能力等、サイバー防衛能力の抜本的強化」が「防衛力強化に当たっての優先事項」と定められた。安倍政権が進める軍拡競争で比重を増すサイバー防衛が、損保のサイバー保険推進にも深く絡んでいくことになる。
 いまや「損保は平和産業だ」とか「平和あってこその損保だ」などと一般論スローガンを叫んでいればいい場合ではない。広義の意味で、損保はすでに戦争準備と軍拡競争に巻き込まれつつあるのだ。それを損保関係者がまずリアルに認識することが必要ではないか。そして、それを具体的に国民に知らせ、多数の声と力で、損保が名実ともに平和産業であり続けることを担保していかなければならない。

 

*注 Iot Inernet of Things パソコンやスマートフォンなどのコンピューターや通信機器など各施設の制御機器、警報機、監視カメラなど、様々なモノがインターネットと接続され、遠隔操作や管理、情報収集が可能になること。「2017年時点の世界中のIoT機器は約275億個、これが2020年には約400億個に増加する」(IHSテクノロジー社の調査