安田菜津紀さん語る

 

                      

 やすだ・なつき 1987年神奈川県生まれ。フォトジャーナリストとして東南アジアや中東、アフリカ、日本国内で貧困や難民問題などを取材。東日本大震災以降は被災地の記録も続ける。
 2012年「HIVと共に生まれるーウガンダのエイズ孤児たちー」で第8回名取洋之助賞受賞。「君とまた、あの場所へ シリア難民の明日」(新潮社)、「写真で伝える仕事 世界の子どもたちと向き合って」(日本写真企画)、「それでも、海へ 陸前高田に生きる」(ポプラ社)など著書多数。テレビ・ラジオのコメンテーターとしても活躍中。

 

 


戦禍の苦しみ伝えたい


   激しい戦闘が続き、多くの難民が生まれている中東で取材を続けています。中東との関係は、イラクのある少年との出合いがきっかけです。
 学生時代、ボランティアをしていた団体で、世界中から親を失った子どもたちを招くキャンプに携わり、そこでイラクからやってきたアリ(仮名)と仲良くなりました。彼は「いつかまた会おうね」と言って、帰って行きましたが、情勢の悪化や、避難先だったシリアの内戦、過激派組織「イスラム国(IS)」の侵攻などの中で、いまなお避難生活を続けています。
 「友人に会いたい」という思いで彼のいるシリアやイラクを訪ねたのが、中東とのご縁です。人々とのご縁も広がりました。
 多くの人が困難な生活を強いられていますが、声を上げることができません。ですから、微力ですが私が写真の力を借りながら、「イラクやシリアではこんなことが起きています。人々は助けを必要としています」という声を伝えたいと取材を続けています。
 イラクやシリア、あるいは取材をさせていただいている東日本大震災の被災地でもそうですが、「自分たちはもう忘れられている。誰も自分たちに関心なんて持っていないんだ」という孤立感が人々を追い詰めています。無関心や無知が人を追い詰めていく構造は性的少数者LGBTをめぐる問題でも同じです。
 多くの人からの「決して忘れないよ」「もっと知りたいんだ」というメッセージは、人が追い込まれたり傷ついたりする可能性を少しでも減らすことができると信じています。


 「伝えたい」「声を広げたい」という思いで、学校などでの講演も行っています。シリアというと「戦場で危ないところ」というイメージがあり、「そんなつらいことは知りたくない、見たくない」という子どもたちもいます。
 私は講演の際、「みんなの生活の中で一番大切なことって何?」と聞きます。「勉強」と言う子たちにはこう問いかけます。「何年もの間、戦争のために勉強する機会を奪われたら、どんな気持ちになるかな?」。「家族」と答えた子には「何年もの間、難民や国内避難民となって家族もバラバラに分断されるって、どんなに心が痛むか、想像できるかな?」。
 内戦前は私たちと同じような日常があって学校に通えていたこと、みんなが家族や友だちを大切に思っていることなどを伝えることによって、関心が深まり、イラクやシリアとの心の距離も縮まるのではないかと考えています。


 日本にとってイラク戦争の禍根は大きいと感じています。中東では概して日本に対するイメージは良いのですが、イラクの女性にこう言われたことがあります。「この国の混乱はイラク戦争があったから。戦争を始めたのは米国だが、それに追随した日本に責任はないの?」と。
 安保法制が成立し、改憲の動きもある中、良いイメージや信頼を日本が自ら壊してしまうのではと危惧しています。
 シリアで起きていることは「遠い国のこと」かもしれません。
 しかし日本にもシリアから逃れてきた人々がいます。例えば彼らがなぜ日本に来たのかについて耳を傾けるなど私たちにできることはあります。それを通して日本が果たすべき役割や世界について、もっと考えることができるのではと思っています。