暇工作「課長の一分」


「ライバル社を救え」の精神

沖縄宮古島の「宮古新報」という新聞が廃刊の危機という。地域密着型の貴重なメディアだが、社長のパワハラや労働組合つぶしも背景にあるようだ。
 いま、社員たちが自主発行を続けているが、驚くのが他紙の社員たちの支援だ。同島にもう一つ「宮古毎日新聞」というライバル紙がある。そこの社員たちが「宮古新報の購読をお願いします」というビラを配っているというのである。
 その理由を宮古毎日新聞労組の書記長でもある山下誠記者はいう。「宮古新報がなくなったら、うちの質も絶対落ちるし、取材環境も変わるさ。(トクダネ合戦で)抜かれるからこっちもやる気になる。つぶしちゃいかん」と。多様なメディアあってこそ社会の民主主義が守られるというのだ。情緒の次元ではなく、明確な論理性に裏打ちされた支援活動であるところに感服する。だから、自信をもって堂々と何物をも恐れず語り行動できるのだろうが、なかなかできることではない。
 損保にも同様な問題があった。あの9・11事件と怪しげな再保険会社の振る舞いを奇貨として、大成火災と日産火災が安田火災に統合された事件だ。大成火災の場合、業界から、あとわずかな資金的支援が得られれば存続できたはずという。だが他社は動かず、労組も、企業統合は時代の趨勢と諦観し抵抗せず沈黙を貫いた。「統合は時代の趨勢」との風潮を意図的に作り出した国の権力者たちに対し、闘わずに白旗でよかったのか。損保会社が減ることは損保産業自体が劣化することだとなぜ、叫べなかったのか。経営者たちに「少しずつ資金を出し合って大成火災を支援せよ」となぜ、迫れなかったのか。宮古毎日新聞の山下記者たちの気概をなぜ、労働組合の幹部たちは持てなかったのか。かつては「他社の社員の首切り事件」に3万人が産業別スト権を確立して経営者を包囲し、争議を勝利で締めた栄えある損保労働者ではないか。結果はともかく、主張し、行動をしてこそ労組ではなかったのか。
 沖縄・宮古島で、島民一人ひとりにビラを手渡し、メディアの多様性こそ日本社会にとって大切だと訴えつづける新聞記者たち。
 その精神と行動力に突き動かされて、我々の中に眠っているものを呼び起こす時ではないか