斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

     「活字」追放の危機

東京の原宿で、絶望的な発見をした。
 JR山手線の駅と、東京メトロ千代田線明治神宮前駅の入り口階段の間にあるキヨスクに、新聞も雑誌も置かれていない。飲み物と食べ物だけ。一瞬わが目を疑い、店員さんに確かめてみても、「はあ、申し訳ありません」。
 ああ、ついにこの日が来てしまったのか。駅の売店の多くが、キヨスクから「ニューデイズ」のような駅ナカコンビニに切り替えられていった過程で、いずれ活字媒体は唾棄すべき、存在してはならないものとして扱われることになるのだろうとの予感が、私にはあったから。
 この段階では確かに、新聞も雑誌も、まだ排除まではされていなかった。とはいえ以前と比べて陳列点数は激減。しかもレジの下の地べたに置かれていたのが、私には許せなかった。
 いかにも邪魔物扱い。狭い店内では、客もどれにしようかと選ぶ余裕がない。これと決めても腰をかがめないと手に取れないのでは、中高年以上には、それだけでバリヤーである。第一、俺たちの汗と涙の結晶が、どうして地べたなんだ!
 キヨスクもニューデイズも、経営しているのはJRの子会社だ。 
 昨年秋には鉄道弘済会がそれらに新聞や雑誌を卸す業務から撤退して業界関係者の嘆きを誘っていたが、もはやそれどころではないらしい。
 原宿のキヨスクが活字媒体を追放したのは、なるほど売れなくなったからではあるだろう。だが私には、意図的な焚(ふん)書でもあるように思えてならない。JRはもともと労働組合つぶしを目的に民営化された国策企業。ネットの普及で一気に進んだ反知性主義を徹底させたいに違いない統治機構の思惑を忖度(そんたく)しての行為でもあるまいか。
 私の最寄り駅では、駅ナカの改装工事がもうじき終わる。
 新装開店されるニューデイズの選択に、せめて希望をつなげたい。