雨宮処凛の「世直し随想」
右翼の鈴木さん
あなたの中の「右翼」のイメージはどのようなものだろうか。
街宣車に乗った昔ながらの右翼を想像する人もいれば、ここ最近の「ネトウヨ」が浮かぶ人もいるだろう。書店に並ぶ嫌韓本などを思い浮かべる人もいるかもしれないし、映画「主戦場」を思い出す人もいるかもしれない。
私が初めて会った「生右翼」は、一水会の鈴木邦男氏。もう20年以上前、たまたま行ったイベントの打ち上げで隣の席になったのが鈴木さんだった。第一印象は「ぼーっとしたおじさん」。話してみると気さくで面白くて、誰かが「この人、右翼なんだよ」と教えてくれた。へー、右翼の人っていい人なんだ。初右翼が鈴木さんだったことから、私の中にそのようなイメージが刷り込まれた。
鈴木さんは現在、「ほとんど左翼」と言われている。「自由のない自主憲法より、自由のある押し付け憲法の方がいい」と言い、安保法制に反対し、さかのぼれば国旗国歌法にも反対。ネットでは「売国奴」とたたかれている。
そんな鈴木さんが主人公のドキュメンタリー映画が完成した。タイトルは「愛国者に気をつけろ!」。 なぜ「右翼」になったのか。なぜ、そこから今のようなスタンスになったのか。そしてなぜ、いつも鈴木さんの周りには彼を慕う人が多くいるのか。
1943年生まれの鈴木さんはもう70代半ば。最近は体調を崩しているといった話を聞くことが多くなった。
「愛国者に気をつけろ!」は来年2月公開予定だという。私も出ているので、見てほしい。
社会の調和と安泰に必要な五常の徳は、「仁・義・礼・智・信」だと儒教が教えている。なかでも重要なのが「仁」と「義」である。それは人間が守るべき道徳で、礼儀上なすべき努めのことである。日本人が大切にしている基本的な価値観でもある。
10月10日、公明党は政権を離脱した。
公明党は連立維持の条件として「靖国神社参拝」「裏金問題の解明」「企業献金問題」の対応を連立維持の条件としていたが、これらに対して自民党から明確な回答がなかったからだとしているが、自民党は「一方的に告げられた」と言っている。
私は、公明党が連立の条件を出したとき、その条件に一瞬「今さら?」という気がした。連立を組んで26年、その間、それらは何度も問題になったはずである。それを容認(?)してきたのに、なぜ、今になってそれを頑なに主張するのかと思ったのだ。だが、それは、民意に押されているからだと好意的に解釈していた。
自民党の党大会で、高市早苗が総裁になり、麻生太郎が副総裁になった。常識的に考えると、新総裁はいの一番に連立を組んできた公明党に挨拶に出向き、その上で「今後、どうしましょうか?」と相談するのが筋であろう。
だが、そうではなかった。高市と麻生が最初に会ったのが、国民民主党代表の玉木雄一郎だったのだ。当然、政権協力の話をしたのだろう。
「仁」と「義」に続くのが「礼」である。これも日本人の基本的な価値観で、日本人はこれらに欠ける人間を徹底的に嫌う。
自民党は、支えてくれた公明党に「仁義」も「礼節」も示さなかった。公明党からすればそれは侮蔑されたことであり、屈辱と怒りを感じたはずである。私だって相手がそういう人間なら、さっさと見切りをつけて縁を切るはずだ。
1973(昭和48)年『仁義なき戦い』という映画があった。シリーズで5作創られ、1999(平成11)年「日本映画遺産200」にも選ばれている。
ヤクザを主人公にしているが、ヤクザ映画でも任侠映画でもない。義理と人情、恩義と裏切り、愛と憎悪、怨念と殺戮を描いた群衆活劇で、戦後日本の暗黒社会を描いていた。
石破首相の退陣から総裁選、新総裁誕生と今までの政局をみていると、権力を握るための打算と工作、陰で暗躍する長老たちばかりが目につく。映画は「仁義なき社会は抗争を生む」といっていたが、自民党内部はまるでこの映画のようである。
かつて、自民党と有権者は、政策より義理と人情でつながっているといわれていた。そのころの自民党には、まだ「仁・義・礼」もあったということだろうが、今はカネがすべてのようだ。「五常」の残るは「智(道理をよく知り、知識が豊富)」と「信(情に厚く真実を告げ約束を守る)」だが、自民党はそれさえも失ってはいないか。