暇工作「課長の一分」

        なぜ、抗議しない?反省する暇であった。


 

 「暇さん、あなたは自分に対する会社の人事評価に対して異議を申し立てたことはありますか」

 

 こうOさんから聞かれた。実は、ない。サービス残業は殆どしなかったが、仕事はきちんとしてきた誇りはある。営業社員だった時代には、ずいぶん大きな「数字」も稼いだ。そのときでも、評価は以前のままで、成績が賃金に上方反映したことはない。少数派組合に所属している不公平は身に染みて実感していたが、上司を問い詰めることはしなかった。上司は上からの指示に従っているだけ。彼を困らせてもなあ…とカッコつけていたこともあるが、上司を攻めればこちらも無傷ではいられない。その泥まみれを避けたいという事なかれ主義でもあった。

 それを見透かしたかのようにOさんはさらにいう。 「Tさんも、いま、給料で差別を受けているのに、自分から問いただしをしないんですよ。それは、自分のマイナス面を自覚しているからというんです。でも誰にだって弱点はあるでしょ。半面長所もあるはず。互いにはっきりさせたらいいじゃないですか。自信をもって自分を主張しなくちゃ。黙っていては何も始まらない。私はそんなとき、すぐ文句を言いましたよ。どこが悪いんですか。なぜこんな評価ですかとしつこく。すると、翌年の評価は必ず上がりました。たたかうことは大切です。本当の相手は会社ですけど、まずは直属の上司に問いただしをしなくては始まらないでしょう」

 

 仰るとおりである。Oさんは、さらに、何人かの「たたかった人々」の名をあげて、その人たちが必ず成果を勝ち取っていることを具体的に示してくれた。

 知ったかぶりで横着するのではなく、その場その場で正義を貫く。そこではさまざまな矛盾に逢着するだろうし、返り血も浴びるだろう。だが、そうして積もったエネルギーがシステムを変えるパワーに変換されていくはずだ。Oさんに厳しく指摘されて、反省する暇であった。