TAKAKO「職場短信」
台風の日、乗り継ぎ出社への冷たい対応
今年9月の台風15号のときのことです。
私の住んでいる千葉県地域は早朝から停電でした。 当初は携帯の基地局もダメで情報収集はラジオのみでした。 しかし、都内では停電被害がなかったためか、どのラジオ局も通常の放送内容で、こちらが必要としている鉄道の運行情報は報道していませんでした。 冷蔵庫は中の物が傷むのを防ぐため開けられず、窓を開けても無風で室温は上がり続け自宅待機が困難になってきました。
その後、携帯だけは繋がるようになったので、会社に連絡を入れ出社することにしました。 駅に着くと電車はまだ運転しておらず、再開するのは午後になるが振替輸送は行っていないといいます。 理由は、「どの鉄道会社も同じ状況だから」とのことでしたが、その時間帯には既に運転再開をしている路線もあり、どの鉄道会社も同じ状況なら各社相殺(そうさい)で振替輸送すればいいではないかと思いましたが、納得が出来ないまま正規運賃でバスと電車を乗り継ぎ出社しました。
後日、交通費を精算しようと人事・総務部に問い合わせたところ「会社が認めた通勤ルートで出社していないので交通費は支払えない。上司の出社命令があった場合か上司がその出社を適正と認めるのなら支払う」という回答でした。 通常の通勤ルートが利用出来ず、そうせざる得なかった状況で業務に極力支障がないようにした努力を認めないなんて。
鉄道会社もわが社も冷たく、納得出来ないことばかりです。
社会の調和と安泰に必要な五常の徳は、「仁・義・礼・智・信」だと儒教が教えている。なかでも重要なのが「仁」と「義」である。それは人間が守るべき道徳で、礼儀上なすべき努めのことである。日本人が大切にしている基本的な価値観でもある。
10月10日、公明党は政権を離脱した。
公明党は連立維持の条件として「靖国神社参拝」「裏金問題の解明」「企業献金問題」の対応を連立維持の条件としていたが、これらに対して自民党から明確な回答がなかったからだとしているが、自民党は「一方的に告げられた」と言っている。
私は、公明党が連立の条件を出したとき、その条件に一瞬「今さら?」という気がした。連立を組んで26年、その間、それらは何度も問題になったはずである。それを容認(?)してきたのに、なぜ、今になってそれを頑なに主張するのかと思ったのだ。だが、それは、民意に押されているからだと好意的に解釈していた。
自民党の党大会で、高市早苗が総裁になり、麻生太郎が副総裁になった。常識的に考えると、新総裁はいの一番に連立を組んできた公明党に挨拶に出向き、その上で「今後、どうしましょうか?」と相談するのが筋であろう。
だが、そうではなかった。高市と麻生が最初に会ったのが、国民民主党代表の玉木雄一郎だったのだ。当然、政権協力の話をしたのだろう。
「仁」と「義」に続くのが「礼」である。これも日本人の基本的な価値観で、日本人はこれらに欠ける人間を徹底的に嫌う。
自民党は、支えてくれた公明党に「仁義」も「礼節」も示さなかった。公明党からすればそれは侮蔑されたことであり、屈辱と怒りを感じたはずである。私だって相手がそういう人間なら、さっさと見切りをつけて縁を切るはずだ。
1973(昭和48)年『仁義なき戦い』という映画があった。シリーズで5作創られ、1999(平成11)年「日本映画遺産200」にも選ばれている。
ヤクザを主人公にしているが、ヤクザ映画でも任侠映画でもない。義理と人情、恩義と裏切り、愛と憎悪、怨念と殺戮を描いた群衆活劇で、戦後日本の暗黒社会を描いていた。
石破首相の退陣から総裁選、新総裁誕生と今までの政局をみていると、権力を握るための打算と工作、陰で暗躍する長老たちばかりが目につく。映画は「仁義なき社会は抗争を生む」といっていたが、自民党内部はまるでこの映画のようである。
かつて、自民党と有権者は、政策より義理と人情でつながっているといわれていた。そのころの自民党には、まだ「仁・義・礼」もあったということだろうが、今はカネがすべてのようだ。「五常」の残るは「智(道理をよく知り、知識が豊富)」と「信(情に厚く真実を告げ約束を守る)」だが、自民党はそれさえも失ってはいないか。