みんなで歌おうよ 「最近よく歌う曲」


守屋真実

もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 


 最近よく歌う曲。

 韓国のキャンドル革命の歌「真実は沈まない」、台湾の脱原発運動の歌「子供の大空」。そして練習中の曲は「香港に再び栄光あれ」。

 

 アジアの隣国の市民が、特に若者たちが続々と立ち上がっているのに、どうして日本ではこういう大規模な行動が起きないのだろうか。そう思っているのは私一人ではないだろう。

 その答えの一つを「平和運動」2月号(日本平和委員会発行)の『韓国の民主化・キャンドル革命・朝鮮半島の平和実現に、感動するだけではいけない理由』(河かおる滋賀県立大学教員)に見つけた。河氏の論を極く簡単に言えば、韓国の人々は、光州事件や87年民主化抗争の犠牲者や、セウォル号で亡くなった子供たちに対して負い目があり、それが行動の源泉になっているということだ。戦後ドイツが民主主義とヒューマニズムを守ってきたのも、ナチス時代の残虐行為に対する負い目、つまり良心の呵責が原動力だと思う。

 

 帰国した頃に強く感じたのは、日本では子供ばかりでなく、大人が厳しい現実に対峙することを避け、ほんわか、ゆるゆるの夢だけを見たがっていることだ。平和や人権を守る歌や労働者の歌でも、昔のように直接的な歌詞や力強いメロディーは少ない。学生時代に心理学の先生が、「今の日本では、すべてが糖衣錠のように飲み下しやすくされている」と言っていたのを思い出す。

 

 ドイツ人は極めて現実的だから、税金が不正に使われれば怒るし、自然が破壊されれば危機感を持つ。歳を取り、いつかは迎える最期にも備える。それに対して日本人は、不快な現実から目を背け、その場限りの笑いや贅沢で自分をごまかしているように思える。だから原発事故が起きても、自然災害が続いても、政治の私物化や弱者切り捨てにも怒りも危機感もなく、そういう政権を許しているという負い目も感じないのだろう。

 おまけに良心など微塵も持ち合わせていない首相とその一派は、良心の呵責を自虐などと呼び、大戦中に隣国で日本が犯した蛮行を学んでいない若者たちが、これに同調してしまう。

 

 美しいものを見たり、やさしい話に心を和ませる時も必要だが、時には眠れなくなるほど悩むことも人生に不可欠だと思う。

 スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんの言葉が世界の若者を奮い立たせたのも、彼女の虚飾のない言動が心に響いたからだろう。「大人は子供を愛していると言いながら、子供の未来を壊している」と彼女は言った。台風19号による被害が示したように、子供たちの未来が差し迫った危機に晒されていることは明らかだ。自然だけでなく、すでに若者の労働環境も、子供の教育や福祉も、平和すらも危機に面している。それを許してしまったのも大人たちだ。あの程度の政府を倒せないのは、有権者がその程度だということなのだ。私たちの責任は大きい。

 

 私は子供たちから指弾される大人でありたくない。それは良心の問題であると同時に、自分に対する誇りの問題でもある。だから集会やデモに参加している。 

 

  夜明けだ われらが香港

  正義の革命を今

  民主と自由 永久にあれ

  栄光あれ香港   (香港に再び栄光あれ 日本語訳・試案 まっぺん) 

 

 日本でもこんな歌が大合唱される日を呼び寄せたい。