随感録

原子力に拘る真の理由


                                                   松久染緒


  あれだけの被害を生じさせ、いまだに数万人の被害者が避難生活を余儀なくされているというのに、福島第一原子力発電所の事故をめぐり、東京電力の旧最高経営陣3名に対する検察審査会による強制起訴の裁判(東京地裁)で、彼らは無罪となった。

 

巨大事故を起こしても結局は誰も責任を負わないということは我々市民の全く納得できないところだが、それ以上に驚いたのは、判決に言う「当時の法令は原発の絶対的な安全性の確保まで求めていなかった」というところだ。ええそうなのかと耳を疑う。「絶対に安全だから事故など起こるはずがない」というのが、一体となって原発を推進した監督官庁の通産省(現経産省)および各電力会社の主張だったはずだ。判決は、国の長期評価である「三陸沖から房総沖のどこでも30年以内に20%程度の確率で巨大地震が起こりうる」との見解も、東電担当者が津波対策を経営陣に報告していたことも無視しながら、経産省及び業界の不作為・怠慢を追認し、専門家の知見を否定した。検察官役弁護士は控訴したが当然だ。市民に納得できる理屈と説明を求めたい。

 

そもそも世界で初めての核被爆国を標榜しながら現政府・自民党が、核兵器禁止世界条約に賛成せず、福島第一原発のメルトダウン大事故、JCOの臨界死傷事故、1兆円以上の税金をどぶに捨てた高速増殖炉もんじゅの失敗にもかかわらず、原子力を推進するのには、二つ理由があるといわれている。一つは、表向き原子力の平和利用すなわち原子力発電および原発の輸出であり、もう一つは本音で、原子力の軍事利用すなわち核兵器活用への道を途絶えさせないためである。現在、核兵器一個に必要なプルトニウム8キロの6000発相当量を保有している。

 

しかしながら前者は、福島第一原発の大事故および東芝の破綻ですでに終焉が実証されたといえる。「武器原発カジノが成長戦略か」(毎日新聞仲畑流万能川柳)。正にアベノミクスが問われている。後者は、「現行憲法下でも自衛のための核兵器保有は許される」(安倍の祖父・岸)などと寝言を言っているが、平和憲法下で許されるはずもない。核力・原子力を人類が管理できるなどと思うのが間違い・幻想で、もともと手におえない力なのだ。

 

「近代日本150年―科学技術総力戦体制の破綻(岩波新書)」を著した山本義隆の次の言葉を拳拳服膺したい。すなわち「かつて東アジアの諸国を侵略し、二度の原爆被害を受け、福島事故を起こした国の責任として、軍需産業からの撤退と原子力使用からの脱却を宣言し、将来的な核武装の可能性をはっきりと否定し、経済成長・国際競争にかわる低成長下での民衆の国際連帯を追求し、そのことで世界に貢献する道を選ぶべきなのだ」と。