損保経営者は薦めそうもない本


   「『昭和天皇実録』の謎を読み解く」文春新書 

       

                岡本敏則

 


 宮内庁書陵部によれば『実録』は、「平成2年度(1990年)より書陵部編集課において編集を開始。同25年度(2013年)に編集を終了」。完成まで23年を要したことになる。編集課には「宮内庁組織令の第21条に編集課所掌事務として『天皇及び皇族の実録の編集に関すること』」との役割がある。

2014年9月9日『昭和天皇実録』がメディアによって一斉に公開され、その全体を収めたチップが宮内記者会に渡された。全部で12000頁を越え、2015年3月から東京書籍から、本文18巻、人名等索引1巻が4年をかけて刊行された。筆者も予約購入し、現在第11巻昭和25年(1950年)まで読み進めている。前年から天皇は「地方状況視察」として、全国を巡幸していた。津々浦々で歓迎大会が持たれ「天皇陛下萬歳」三唱が唱和された。
 本書は半藤一利(作家)、保坂正康(評論家)、御厨貴(歴史学者)、磯田道史(歴史学者)の4人がテーマごとに鼎談方式でまとめたものだ。4人はチップからプリントアウトされたものを読んだのだろうか、拾い読みとしても大変な作業だ。
 『実録』は編年体であり、膨大な史料を取捨選択したものだろう。条の後には典拠になった史料を列挙している。私は捨てられたものに興味があるが。編者は100人以上に上るそうだが、氏名は明らかにされていない。執筆者も誰がどこを担当したかは明らかにされていない。対米英蘭開戦に至る御前会議、ポツダム宣言受託におけるいわゆる「御聖断」の条では「エース級」の人が執筆したのだろうと、半藤氏は言っている。開戦の詔勅に「自存自衛のためにやむを得ず立ち上がる」とあり、戦後、右派はそれもよりどころにし、決して「侵略戦争」とは認めず、「ABCDラインの包囲により自衛のための戦争だった」と主張することになる。
 つい最近初代宮内庁長官田島道治の「拝謁記」が公表され、新たな史料となるであろうが、以前にも1990年文春によりスクープされた『昭和天皇独白録』がある。外務省出身で天皇の通訳として御用掛をつとめた寺崎英成が書いたものだ。その他に『拝聴記』、侍従長だった入江相政の『入江相政日記』、侍従卜部亮吾の『卜部亮吾侍従日記』。今まで宮内庁は存在を認めてこなかったが『実録』では史料として採用されている。『実録』と並行して読んだのが側近で内大臣木戸幸一の『木戸幸一日記』(東大出版会)、弟の高松宮の『高松宮日記』(中央公論者)。

あの15年にわたる「戦争」の時代を日本の支配層は何を考え行動したのだろうか。それを自分なりに見極めたい。